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第02話
魔女狩りの火

レナちゃんが向こうに行っちゃって、もう2週間かぁ……」
ここ最近、ずっとそればっかりだね」
だってぇ……」
 今日はこの時期にしては暖かい陽気で、それならば中庭でお昼にしようということになった。
そんな移動中での1コマなのだが、今回に限らず、ノーラは何かというとそのことばかり気にしていた。
手紙とかは何もないんですか?」
ああ…うん。実はね、あるんだ」
! リチャードさん、なんでそれをもっと早くっ!」
昼食の時に言おうと思ってたんだよ。休み時間じゃゆっくり読む時間もないからね」
リックくんは、もう読まれたんですか?」
いや、まだだよ。とりあえず僕のところに送られてきたってだけで、宛て先は僕たち3人みたいだからね。僕だけ先に読むわけにはいかないよ」
じゃあ私、先に行って場所を取っておきますね!」
 そう言うと、独り駆け足で廊下を進んでいくノーラ。
しかし10mほど進んだ先でその足が止まり、くるりと振り返ったかと思うとリチャードに向かって叫んだ。
先に開けちゃ、ダメだからねぇ〜〜〜!」
 リチャードとフィオリナは互いに顔を見合わせて苦笑いすると、こちらもまた先程よりは歩を速めた。
階段を降り、そこから更に少し行った先の非常扉へ。
その扉を開けて中庭に出ると、春の陽射しとやわらかな風が肌に心地良かった。
こっち、こっち!」
 ノーラが手招きするそこは、木陰の芝生というまあ無難な場所だった。
実際こんな場所はそこら中にあるのだが、やはりこの陽気では同じことを考える生徒も多いようで、その中ですんなりと確保できたのはノーラのお陰だろう。
さ、早く読みましょう?」
じゃあノーラが最初に読んでいいよ。僕は最後でいいから」
 リチャードから手渡された封筒の封を切ると、早速とばかりにその中の便箋に目を通すノーラ。
彼女は文章を読むのが苦手なので、指で文字を追いながらゆっくりと、確かめるようにその内容に目を通していく。
はぁ〜……」
何て書いてあったの?」
ん」
 ノーラはフィオリナに手紙を渡すと、呆けたような表情でその余韻に浸る。
フィオリナはさすがというか読書は得意なので、2枚ある便箋を1分とかからずに読みきってしまう。
どうだって?」
ごく普通ですよ。向こうでお友達ができて、順調にやっているそうです」
 フィオリナから受け取った手紙に目を通すリチャード。
たしかにそこには、フィオリナが言うようなことが書いてあった。
でも、すごく充実したカリキュラムですね。これならいっそ私が、レナだと偽って留学すれば良かったですね。レナが羨ましいです」
……君が言うと冗談に聞こえないね。まあ、あっちはレナの顔を知ってるから無理だったろうけど。……で、ノーラ?」
ひぁっ!? …な、なに?」
いや、さっきからずっと呆けたままだから。そんなに感動するようなこと書いてあった?」
もちろん! あんなに嫌がってたレナちゃんが楽しそうにやってて良かったって思うのは、当然のことでしょ」
……まあ…そうかもね」
 確かにそうなのだろう。
だがリチャードは、その文面にルームメイトらのことが一切記載されていないことが少々気にかかっていた。
寝食を共にしている同年代の女生徒ともなれば、エレノアなら問題なく友達になれるだろう。
しかしそのことに一切触れていないということは、何か隠していることがあるのではないかと不安になってくる。
そう思ってフィオリナの顔を見ると、彼女はただ黙ってこくりと頷いた。
僕たちの考えすぎならいいんだけど……)
 杞憂ならいい。
純粋に喜ぶノーラを見つめながら、そう願った。


うー……」
やあ、レナ。おはよう。……どうしたの? すごく眠そうだけど……」
 ふらふらと歩くエレノアに、リセがそう尋ねる。
ああ…リセ? おはよ……。いえね、ここ最近服が隠されたりとか、シャワーを水にされたりとか色々あってね」
……やっぱり、君の方でもあるんだね。ボクはせいぜい、ルームメイトからは無視されるだけで済んでるけど……」
 寄宿舎は4人で1つの大部屋が割り当てられる。
その大部屋の中には更に各人用の個室があり、シャワールームなどは4人で共用となる。
個室には鍵がついているのでその中にいさえすれば安全なのだが、そうでない場合はその限りではない。
……? でもちょっと待って。それと寝不足と何の関係が……?」
もう、いい加減頭にきてね。抗議してたの、一晩中」
え……」
 ふと視界の端に、エレノア同様にふらふらと歩く人影が見えた。
それはどうやらエレノアのルームメイトのようで、エレノアを見るや否や逃げるようにしてその場を去っていった。
……・・」
すぐにみんな個室に閉じこもっちゃったから、聞いてるのか聞いてないのかよく分かんなかったけどね」
いや…多分、聞いてたと思うよ」
 つまり今回に限り、彼女は被害者ではなく加害者だったというわけだ。
これに懲りていじめがなくなればいいとは思うが、恐らくこの分では悪化するのがオチだろう。
……でも、そんな調子で大丈夫? 目なんてほとんど閉じてるんだけど」
んー…学科だけはちゃんと取っておきたい」
えっと、ちょっと待ってね。……2時間目に数学、4時間目に語学があるけど、午後に回しても問題ないみたいだね」
 リセが掲示板を覗き込んで、そう告げる。
じゃ寝る」
それなら旧校舎に行こうか。部屋じゃ万一ってこともあるし」
……うん、そだね」
 リセがエレノアの体を支えるようにして旧校舎の音楽室へ行くと、そこには既に先客がいた。
その先客は寝転がったままで顔だけを一旦2人に向けると、すぐにふいとそっぽを向いてしまった。
やあ、アル。お邪魔するよ」
……珍しいな。この時間にお前らがサボリなんて」
……眠くて」
みたいだな」
そういうわけでおやすみ……」
 そう言うとエレノアはソファーまでふらふらと歩いていくと、倒れ込むや否や安らかな寝息を立て始める。
ちなみにこの部屋にはソファーはこれ1つしかないのだが、アルフレドはこれを使わずにいつも床に寝転がっている。
「柔らかいと眠れない」とは言っていたが、逆にちゃんと眠れるはずの床でさえ、アルフレドが熟睡しているのを見たことがない。
……無防備すぎるな」
それだけ信用されてるってことだよ。ボクも、キミもね」
……何を。それよりお前、講義はいいのか?」
歩行法に出るつもりだったけど、出なくても試験は通るだろうし」
だろうな」
それに、今はこっちの方が楽しいから」
 そう言うとリセは適当な小物を目の前に置き、それに向かって魔力を集中させた。
リセの属性はエレノアと同じ運動。
基礎さえできれば後は難しくない魔法で、今のリセは僅かながら魔力を体外に放出できるくらいにはなっていた。
もちろんエレノアが付き添った方が効率はいいのだが、それでもここまでできれば独学でもなんとかなる。
まあ、うるさくしないのなら好きにしろ」
 アルフレドはそう言うと、それきり黙り込んでしまう。
そうして部屋の中には、エレノアの寝息だけがすぅすぅと聞こえていた。
アルフレドの方は、依然眠っている気配はない。
そして5分ほどそうした頃だろうか。アルフレドが唐突にその口を開く。
……来週、修学旅行があるな」
あれ、そうなの?」
今朝掲示板に貼ってあった。その分じゃ見てないだろうと思ったから言った。後で見ておけ」
うん、そうするよ。ありがとう」
……日時は来週の水曜と翌日の午前にかけて。まず午前中に美術館を見学して、昼はベルリオーズ家で会食。夕方まで自由時間で、夜はホテルでオペラ、そのまま宿泊で翌日に学院に帰還、だそうだ。……何が面白いのか俺には分からん」
 訊きもしないのに、懇切丁寧に詳細まで教えてくれる。
話し相手が欲しいなら素直にそう言えばいいのにと、リセは心の中で笑っておいた。
オペラ、か……。ボクは興味あるな」
お前、歩行法も声楽も得意だしな。いっそそっちの方に進んだ方がいいんじゃないのか?」
興味はあるけどね……」
……ま、この学院にいるようじゃ無理か」
そうだね」
 フォンクライスト寄宿学院は、主に貴族の家の子が集うザブランきっての進学校だ。
卒業すれば立派な紳士淑女として誰からも認められるようになるが、逆に言えばそれ以外に将来の選択肢はない。
またそれゆえに、そのために子供を利用する親が多いのが実情だ。
実は金さえ積めば入学はそう難しくはないので、成り上がりの小金持ちに特にそれが多い。
アルフレドの親もその筋の騎士で、上流階級の仲間入りをするために彼をこの学院に入学させたという経緯がある。
この年齢になって編入してきたリセも、恐らくは似たような理由だろう。
俺らにとっては迷惑な話だな。……まあ俺は、いずれ家を出るつもりではいるが」
キミらしいね」
……ふん。少し喋り過ぎだ。もう俺に話しかけるな」
はいはい」
 リセはそう言ってくすりと笑うと、再び魔法の練習に集中することにした。


……疲れた」
まだ歩いて5分も経ってないよ?」
そんなことじゃない」
 修学旅行当日。
エレノア、リセ、アルフレドの3人は、午後の自由時間を利用して街中をぶらつくことにした。
だがどうにもアルフレドに覇気がない。
午前中の美術館見学で眠くなったところへ、貴族の家で会食だぞ? 俺にとっては拷問だ……」
 げんなりとした顔で力なくそう言う。
それでも会食中はそつなくこなしていたようだが、その疲れが今になってどっと出てきてしまったらしい。
どこかで休んでる?」
やっと羽を伸ばせるんだ。むしろ動いていた方がいい」
あ、あれ……」
ん?」
 エレノアの指さす先には、軍隊の行軍があった。
銀色に輝く、それでいて戦いの歴史を物語るかのような無数の傷を持った鎧かぶとを身に着け、戦士たちが一糸乱れぬ行進を行っている。
戦争、するのかな……?」
違うよ。ザブランには余分な土地がないからね。この大通りみたいな真っ直ぐな一本道は、行進の演習には丁度いいんだ」
……それと、軍事力を国民に見せつける目的もある。国に強い軍隊がいると分かれば、国民は安心するからな」
ふーん…でも、すごいね。全員きっちりと動きが揃ってる。まるであれ全部で1つの生き物みたい」
軍隊ではそれが何より重要視される。例え隣の奴が親友で、そいつが戦いの中で倒れたとしても、それを意に介さず進まなければならない…そういう世界だ」
そんなの私にはムリ。止められても助けに行くよ」
その甘さが命取りになるんだ。……まあお前には関係ないかも知れないが、頭の片隅にでも入れておけ」
……あんまり入れたくない」
 ──と。
珍しい武器を持っているな』
ひぁっ!?」
どうしたの?」
い、いやその、ちょっと目の前を虫が、ね」
 突如頭の中に響いた声に、思わず変な声が漏れてしまうエレノア。
その声の主は、彼女の左手首につけられたブレスレット──リチャードからお守りとして持たされた、姿を変えた聖剣だった。
聖剣はエレノアの身の安全を保障する条件として、ザブランの兵法や武器について学ぶことになっていた。
あの武器は何かと訊け』
分かったわようるさいわね……)
ねぇ…変わった武器を持ってるけど、あれって何て言うの?」
……お前、本当に騎士の家の筋なのか?」
無理もないよアル。彼女は親戚にすぎないんだし、それに女の子だからね。それと、あれはザブランでは有名だけど、実際使われてるのはザブラン以外ではライスくらいしかないんだ。レナ、あれはハルバードっていってね。突く、斬る、引っ掛けるといった用途に使える、万能型の武器だよ」
ただし、使いこなすには相当な訓練が必要になる。少数精鋭のザブラン向きの武器だな」
そうなんだ…ありがと」
それはそうと、これからどうする。俺は休日にはよく出てくるから、さしあたってやりたいこともないが」
うーん…ボクも学院生活は短いけど、それ以前からも街へはよく遊びに来てたから似たようなものかな。レナは?」
と言われてもね。逆に私は知らなさ過ぎるし」
それもそうだよね。それじゃアル、適当に案内よろしく」
……お前がやれ」
 そう悪態をつくものの、案の定というか、彼はその後しっかりと2人を案内してくれたのだった。


 ──その夜。
国内でも屈指のホテルを借り切っての、学院生のためだけのオペラが催された。
元より楽しみにしていたリセ、そしてこういったものを見たことがないエレノアは目を輝かせてこれを鑑賞しているのだが、一方のアルフレドはどうにも退屈で仕方がない。
いっそ寝てしまおうと何度も思ったが、その度に役者が奇声を発するのでそれもままならない。
しかし……)
 昼の会食の時にも思ったことだが、単なる田舎娘だと思っていたエレノアは、こんな時だけ妙に場慣れした空気をにおわせる。
アルフレドはてっきり、彼女もまた田舎騎士の見栄のために送り込まれてきたのだと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。
それにそうなら、1年のみの留学などと言わず、卒業認定を受けるまで滞在しなければならないはずだ。
こいつ一体何者だ……?)
……ん? どうしたのアル? 私の顔じー…っと見て」
い、いや別に……」
舞台の上の女優よりも、レナの方が魅力的なんだって。ね、アル?」
……殺すぞてめぇ」
 アルフレドがふいと顔を背ける。
するとその視線の先、舞台の裾野から1人の男が現れて、何やら慌てた様子で客席に向かって叫び声を上げる。
火事だ! 落ち着いて、避難、してください!」
 現れたのが舞台袖ということもあり、最初はそれが演技かどうか判断がつかずにきょとんとする生徒たち。
しかし舞台上の役者らがこぞって素に戻る様を見て、次第にそれが本当のことだと理解する。
避難口はこちらです! 慌てず、速やかにお願いします!」
 さすがにフォンクライスト寄宿学院の生徒だけあって、誰も口を開く者はおらず、ただ黙々とその指示に従う。
だがオペラ会場の観客席ということもあり、移動はなかなか遅々として進まない。
そうこうしている間にも、煙が会場にも押し寄せてくる。
だが天井が高いのが幸いして、煙は皆上の方へと上っていく。
火はまだ迫ってこない。大丈夫だ、このペースなら充分間に合う。
──そしてそれから7分後、生徒らは全員ホテルの外への避難を無事完了した。
まったく、何てことでしょう! 不届きにもほどがありますわ」
ホテル側には、きっちりと謝罪と賠償をして頂かないと……」
 そんな声が耳に入ってきたが、それらは全てオペラの役者らのものだ。
対するフォンクライスト寄宿学院の生徒らはというと、冷静とはいかないまでも、皆一様に無言だった。
いかなる時も冷静に、というのは結構なことだが、そのあまりにも人間味のない光景にエレノアはたまらず苦笑していた。
──先生、先生!」
 そんな中、ある女生徒が取り乱しながらそう叫ぶ。
彼女は引率の講師の耳に何かを告げると、次の瞬間、その講師の顔が見る見る内に青ざめていった。
……何ですって!? 中にまだ1人取り残されているですって……?」
はい……! 途中ではぐれたことに気づかずに……」
 そのやりとりを聞いたエレノアは、体温が下がるような感覚を覚える。
助けに行かなきゃ……!)
……お前、何を考えてる? 馬鹿な真似はよせ。昼間も言ったが、その甘さが命取りになるんだ。救出は大人に任せておけ。お前が出る幕じゃない」
それは…そうかもしれないけど……」
 確かにアルフレドの言う通りだ。
強力な熱魔法の使い手ならまだしも、エレノアはまだまだ未熟な運動魔法使いだ。
いくら素早く動けるといっても、炎の中でその熱さを無視できるくらいの速度で動き回れるわけでもなく、仮にできたとしても、救出した生徒を抱えて同じことをするのは到底無理だ。
でも…でも……!」
我が炎を防ぐ』
え……?)
 そう言ってきたのは、聖剣だった。
我は石より範囲は極端に狭いが、その代わりあらゆる力を自らの糧とすることができる。貴様が炎の中に入れば、それだけ我の力の回復にも繋がる。それに我はあの男と契約した。貴様の安全を保障すると』
ありがとう……!」
 エレノアはそう言うと、今はもう窓からもその火の手が確認できるホテルへと目を向ける。
このまま生徒らを掻き分けて中に入っていったのでは間に合わない。そう判断した彼女は、魔力を集中すると一気にその窓へと跳躍した。
待──!」
 異変に気づいたアルフレドがそれを止めようとするが、寸手のところで取り逃がしてしまう。
そして人間離れした大跳躍を見せたエレノアの姿を見て、これまで静かだった生徒らが次第にざわめきを見せる。
あの…馬鹿野郎……っ! それに、なんて足してやがるんだ!?」
あれが魔法だよ。物質の移動を司る運動魔法。それを、自分自身に使った結果さ」
……お前、あいつが心配じゃないのか?」
 怖いくらいに冷ややかな目でエレノアの跳んで行った先を見つめるリセに、アルフレドはうすら寒いものを覚えた。
キミが言ったんだよ? たとえ親友が倒れても、それを意に介してはいけない…ってね」
お前……」
なんてね、冗談。……ボクはレナを信じてるから。レナは何かを確信して中に飛び込んでいった。だから、きっと大丈夫だよ」


……すごい!」
 オペラ会場は既に火の海と化していたが、エレノアの周囲…実際には左手首に着けている聖剣を中心とした半径2m程度だけは、その炎も熱もまるで寄せ付けなかった。
ねぇ…もしかして暖炉の中にでも入れておけば、力の回復が早まったりするの?」
そうだが、その程度の火ではすぐに吸い尽くしてしまう。この炎のように、絶え間なく燃え続けるものでなければあまり意味はない』
……そっか」
 よく考えたら、そんないい方法があるのであれば、それを最も良く知る立場にいる聖剣自身がとっくに進言、実行していていいはずだ。
そうしないということは、つまりは今言ったように効率的ではないということになる。
 エレノアは余計な考えを頭から振り払うと、問題の生徒が倒れていないか目をこらした。
しかし視界は炎で阻まれている上、ただでさえ階段席で見通しが悪い。
通路に倒れているならまだいいが、席と席の間だとしたら…絶望的だ。
とりあえず上から見た方がいい…よね?」
 そう思うとエレノアは天井近くまで跳び上がり、可能な限り滞空する。
そしてそれを何度か繰り返した時、通路に半分身を乗り出す恰好で倒れているその女生徒の姿を発見した。
あれは……
……アンリエット?」
 そういえば誰が取り残されたのかは聞いていなかった。
アンリエット…下の名は知らない。彼女はエレノアのルームメイトで、嫌がらせをしていた内の1人だ。
……今は余計なことを考えている場合じゃないよね)
 エレノアは首をぶんぶんと振ると、彼女に駆け寄り、その安否を確かめる。
どうやら息はしているみたいだ。幸い煙も上方に行っているため、特に問題はないだろう。
と、そこでアンリエットが目を覚ます。
起きなくていいのに……!)
……!? あなた…どうしてここに……!」
助けにきたの。……その分なら大丈夫そうだね。さ、行くよ」
この炎の中を? どうやって!?」
私の近くなら大丈夫だから。ああもう、面倒だからとにかく大人しくしてて」
 エレノアが彼女の体を抱きかかえようとしたその手を、アンリエットが平手で拒否した。
触らないで! このバケモノ!!」
 ……ずきん
……は、は…傷ついたって顔してるわね、バケモノのくせに。ええ、そうよ。そもそもこの炎の中を平気で歩いてくるなんて、人間であるものですか!」
そうだな。いかに魔力を持つ者であろうと、この炎の中で長時間いられる人間などいないだろう。人間ではない我がいてこその結果だ』
はは……」
 聖剣が、冗談なのか本気なのか分からないことを言ってくる。
だがそのおかげで、少しだけ気が楽になれた…気がした。
悪いけど、ちょっと静かにしててね」
 言って、アンリエットの鳩尾に拳を入れる。
予定ではこれで気絶してくれるはずだったのだが、やはり素人ではうまくいかなかったようで、アンリエットは涙目でエレノアを睨み上げる。
報復のつもり!?」
そういうわけじゃないんだけど……」
こうやるのだ』
え──」
 エレノアの意思とは関係なく左手が動き、その拳が再びアンリエットの鳩尾を襲う。
彼女はくぐもった声を1度だけ上げると、その場にどさりと倒れ込んだ。
……支配したね?」
あの状況では仕方なかろう』
そうだけど…もうしないでね!?」
状況による』
 どうにも納得できないが、聖剣とは問答するだけ無駄だろう。
エレノアはアンリエットの体を抱えると、出口へ向かって歩き出す。
そんな中エレノアは、先程のやり取りについて考えていた。
こんな状況の中でも、魔法使いだとかそうでないとか、そんなに大事なことなのかな……)
 自分には確かに魔力がある。けれどそれ以外は普通の人間である。
魔法では普通の人間にできないことができる。けれど仕事量で見れば普通の人間と同じことしかできない。
それでも私は…人間じゃないのかな……?)
 ──頭が混乱してくる。
視界に入ってきた講師と生徒らが口々に何かを言っているが、それももう彼女の耳には入らない。
そしてその中をリセとアルフレドが駆け寄ってくるのが見えたが、やがてその視界も次第にどろりと崩れてゆき──エレノアの意識は闇に落ちた。


……ここ?」
 目が覚めると、見慣れた天井がそこにはあった。
そっか、私あの後気を失って……」
 覚醒していく意識の中で、体に異常がないかを確認する。
……馬鹿馬鹿しい。聖剣が完全に守ってくれていたのだ。怪我など負うはずがない。
エレノアはベッドから起き上がると、服に袖を通す。
そういえば誰が服を脱がせたのだろう?
この個室の鍵を持っているのはエレノア本人以外では学院長か寄宿舎の管理人しかいないと聞いているので、恐らくはそのどちらかかもしれない。
えっと…確か修学旅行は本来今日の午前中までの予定だったから、今は講義はないはずだよね」
 なら旧校舎に行こう。
いくら鍵のかかった個室とはいえ、ここにいるのは居心地が悪い。
旧校舎ならアルフレドもいるだろうし、いくらか気を紛らわせられるかもしれない。
そう思って個室のドアを開けると、その先の大部屋には見たくない顔が揃っていた。
まあ、午前中だけ遊びに行くのも難しいので、部屋で友達同士雑談…というのは自然な流れなのかもしれない。
だが、それにしては静かすぎるような気もする。
大方バケモノの顔を見て、言葉に詰まったのだろう。思わずそんな自虐的なことを考える。
……おはよ」
 エレノアはそうとだけ言うと、逃げるようにして部屋を後にしようとする。
しかしそんな彼女を、アンリエットが引き止めた。
……待って。……話が、あるの」
 数秒の沈黙。
エレノアは無難な表情を作ると、くるりと振り返り「なに?」と返事をする。
緊張した面持ちで次の言葉を待つエレノアに、アンリエットが下を向きながら言った。
昨日はその…その、あり…がとう……」
……ぇ」
 あのアンリエットから出た意外な感謝の言葉に、エレノアが呆然となる。
昨日は私…あんな状況だったから混乱していて、その…酷いこと言ってしまって…悪いと思ってるわ」
アンリエット……?」
私たちからもお礼を言わせて。アンを助けてくれてありがとう。……そして、今までごめんなさいね」
ごめんなさい、エレノア……」
 他のルームメイトらも、口々にそう言ってエレノアに謝罪する。
しばらく何が起きたのか分からずにいたエレノアだったが、ようやっとそれが和解の合図なのだということに気づいた。
みんな……」
ああもう…なんで貴女が泣くのよ……」
 アンリエットがハンカチを差し出し、エレノアがそれを受け取る。
少し遅くなってしまったけど…これから…その、よろしくね」
……うんっ!」
 これで魔法使いに対する差別視がなくなったというわけではない。
学院内だけで見ても、エレノアらを色眼鏡で見ている者がほとんどというのが実情だ。
だがそれでも、これは大きな一歩だと、彼女は確信していた。

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