第04話
落ち葉の舞う頃に
──夏の終わり頃からだろうか。カナン王とザイス王子が原因不明の病に臥せってしまったのは。
なんとか熱だけは下がったのだが、それきりずっと目を覚まさない。
余計な心配をかけさせまいとしてしばらくエレノアには知らせずにいたのだが、このままではあと2週間以内の命と医者に宣告されたところで、ようやっと彼女にもその知らせが入った。
その知らせを受け、急遽留学先のザブランから帰国するエレノア。
彼女はほとんど寝ずの看病を続け、そして1週間が経過した。
恐る恐るその大きな扉が開き、そこから幼馴染の少年が現れる。フィオリナとノーラも一緒だ。
3人はこうして毎日、彼女の元を訪れていた。
「 | 聞いたよ…またほとんど何も口にしてないんだって? 心配なのは分かるけど、セシリーまで倒れたらどうしようもないよ」 |
「 | サディたちみたいに、親兄弟が危篤の中でも仕事で飛び回るっていうのも考え物だけど、セシリーも極端すぎるよ。人手がないわけじゃないんだから、たまにはゆっくり休むといい」 |
声音こそ穏やかだったものの、その声には明らかな怒気が込められていた。
無理もないとはいえ、もう1週間もずっとこんな調子だ。
せめて食事と休養くらいは取ってくれないと、リチャードらとしても安心して眠ることもできない。
3人が逃げるように、だが躊躇うようにしてその部屋を後にする。
そして部屋の中には、再び重い沈黙が戻ってきた。
「 | ……やれやれ、どうしたものだろうね。いっそこの件は知らせずにおいた方が良かったんじゃないかとも思うよ」 |
「 | それはそれで、万一の時に悔いが残る結果となるでしょう。……とにかく今は、陛下と殿下の回復を祈りましょう」 |
「 | ……分からない。ただ、どんどん衰えていってるのは確かだ。体力のない陛下は2、3日中、殿下は1週間以内に目覚めなければ見込みはないって医者には言われてる」 |
ようやっと復興が軌道に乗ってきた矢先のこの不幸。
アリシアとサディナがいれば国政には支障をきたすことはないとはいえ、彼女らは今まさにそうであるように、国を空ける機会も多い立場だ。
それはクーヘンバウムに弱みを握らせることとなり、また、内部からも権力を握ろうとする者が少なからず出てくるだろう。
中にはクーヘンバウムと内通して、国を売ろうと考える輩も現れるかもしれない。
悲しいが、それが今の現状だ。
憤るリチャードに、ノーラはそっと、その腕を掴んだ。
10月某日、ザイス王子が目を覚ます。
しかし自我はなく、虚ろな目でただ虚空を見つめるばかり。
エレノアが必死の看病を続けるが、時折何かを呟くばかりで、一向に回復する兆しは見られない。
ザイス王子の回復から3日後、カナン国王が亡くなる。
これでも予定より保った方で、臣下らの中には既に諦めに似た覚悟が出来上がっていた。
エレノアもそれは同様のようで、涙の枯れ果てた目でその遺体をじっと眺めていた。
「 | さて──それでは今後のことについてだが……王位はザイス王子に継承させるとして、しかしそれには補佐をする人間が必要だ。つまり…宰相を置くことにする」 |
葬式を終えたばかりの席で、大臣の1人がそう発言する。
「 | 陛下がお亡くなりになられたばかりだからこそ、議論するべき話ではないですかな? 貴殿も知っての通り、今のザイス殿下はとても執政を任せられる状態ではない。ならば先程申し上げたように、宰相を立てるのが筋というものだろう?」 |
「 | しかし……! せめて王女様方がお帰りになられてからでも……」 |
「 | あと3日待たれよと? その3日が重要なのだ! 国が不安定な今この時だからこそ、内外に対して弱みを見せるわけにはいかん。今こうして、貴様と議論している時間さえ惜しいくらいだ!」 |
一見正論を言っているように思えるこの大臣の発言だが、内心では自分が宰相になろうというのが誰の目からも分かる。
確かに彼がその地位に最も近い人物である以上、そうせざるを得ない。
しかしひとたびそうしてしまえば、サディナらでさえ迂闊には手を出せない存在となってしまうだろう。
恐ろしいことに、この男にはそれだけの力がある。
だから、それだけは何としても避けなければならない。
……あと3日。なんとかそれまで持ちこたえることさえできれば……。
決して大きくなく、けれどもその場の隅々にまで響き渡る声でそう言ったのは、あのエレノアだった。
彼女のこの発言に、周囲の者たちの間にざわめきが起こる。
「 | 私たち姉妹が、兄様を補佐してこの国を守ってゆきます。それが…残された私たちに課せられた義務であるとも思います」 |
「 | 宰相を立てると申したのは貴方でしょう? 貴方は、私たちでは不満だと? そう仰るのですか」 |
いつになく毅然としたエレノアに大臣がたじろぎ、他の高官らはその姿に見惚れる。
リチャードらでさえ、それは同様だった。
「 | ……どうやら、セシリア様はこの数ヶ月の間に大層ご成長されたご様子。我々もできる限りのお力添えを致します。……セシリア様に従いましょう」 |
その場にいた一同が、セシリアに対して敬礼をする。
そんな光景を見つめるリチャードは、胸がいっぱいになっていた。
「 | 一時はどうなるかと思っていたけど、この分ならもう安心だね。陛下の死が、セシリーに影響を与えたのかな」 |
「 | でも、なんだかレナちゃんが遠い世界の人になっちゃったみたいで、ちょっと寂しい気がする」 |
「 | 忙しくはなるだろうけど、会おうと思えばいつでも会えるし、やっぱりセシリーはレナだよ。僕らが良く知ってる、ね」 |
それからのエレノアは、まるで見違えるようだった。
ザイス新王の補佐として実質全ての国政を司り、それでいて出過ぎるところもない。
彼女を支える高官らの中にも安堵の色が見え、これならいつ何時サディナらが国を空けようとも問題はないという意識さえ生まれつつある。
そのサディナらが帰還するまで、あと1日。
それまでの間に、エレノアは溜まっていた仕事のほとんどを片付けてしまっていた。
もちろんこれは、他の高官らの助けによるところも大きいのだが。
小走りに廊下を歩くエレノアに、学校を終えてやってきたリチャードらが声をかける。
「 | 頑張ってるみたいだね。何にしても、セシリーが元気になって安心したよ。……でも、まだ痩せたままだね。ちゃんと食べてる?」 |
「 | 2日ぐらいで元に戻ったりはしないよ……。安心して。ちゃんと食事は摂ってるから」 |
そう言って微笑む少女の顔には、隠し切れない疲労の色が見て取れた。
「 | うーん…そう言ってもらえるのは嬉しいけど、さすがに国の機密に関わることも多いからね。それにもう大体は片付いたし、明日には姉様方も戻られるから」 |
「 | そう…くれぐれも体には気をつけてね。髪もこんなに艶がなくなって……」 |
そう言って彼女の髪に触れようとしたフィオリナに、一瞬びくりと体を震わせるエレノア。
そう言って手を振る彼女の後姿を、3人も同じようにして見送った。
「 | ……そうだね。でも何故だろう? 何かが胸につかえてる、そんな気がする」 |
ノーラがそう尋ねるが、2人ともその疑問に答えることはできなかった。
ただ、何か大事なことを見落としているんじゃないかと、そんな漠然とした不安が胸の中にあった。
その翌日、ザブランでの外交を終えて岐路につく1台の馬車の姿が山中にあった。
乗っているのはアリシアとサディナ、そして護衛の為に同行しているガラハドと、御者の4名。
彼女らには既に国王逝去の知らせが届いていたため、その車内の雰囲気は決して明るいとは言えない。
「 | セシリアは予想以上の働きをしてくれているみたいだけれど…やはりこの目で見てみないことには安心できませんわ」 |
「 | ですなぁ。国力の衰えを隠すために、あえてそのような情報を流したとも考えられますからな」 |
「 | ええ。……とはいえ、宰相の座をどこぞの馬の骨に盗られなかっただけでも良しとしましょう。それだけでも、余計な手間が省けたというもの」 |
そう言って窓の外に目を向ける。視界に入るのはただ一面の乾いた土の壁のみ。
ザブランとカナンを繋ぐこの山道を越えてしまえば、もうカナン国内だ。
それからは2、3時間もあれば城に到着する。
そのサディナの視界に、ちらりと何か影のようなものが見えた。
気のせいかとも思ったその瞬間、馬が激しい嘶きを上げて馬車が急停車した。
ガラハドが馬車の窓から身を乗り出す。
するとそこには武装した無数の男の姿があった。
「 | 降りろ。そして馬車と金目のものを置いていけ。そうすれば命だけは助けてやる」 |
彼らのリーダーらしき男が、槍で威嚇しながらそう告げる。
「 | ……宜しいですか。決して降りてはなりませぬ。連中は見た目こそ山賊を装っていますが、明らかにプロの殺し屋です。恐らく殿下らのお命を狙ってのことでしょう」 |
「 | まず自分が降りるフリをします。合図をしたら馬車を走らせて下さい。なんとかして突っ切ります」 |
そう言うとガラハドは馬車の扉を開け、その階段を降りる。
と、いきなり扉を閉めたかと思うと、馬車を出すように御者に叫んだ。
一切の躊躇なく、眼前の敵を2人薙ぎ払うガラハド。
その呆気に取られた敵の一瞬の隙を突いて、馬車は猛スピードで走り出した。
「 | 血が見たかったのだろう? ならば思う存分見せてやる。ただし、その代償は高くつくと思え!」 |
ガラハドの圧倒的な殺気に威押される男たち。
とはいえ、所詮相手はたった1人だ。
さっさと片付けて馬車を追おう…そう判断したリーダーの指示と共に、男たちが一斉にガラハドに襲いかかった。
ラグナラ神学校での休み時間のこと。
ふと呆けた顔で、虚空を眺めるリチャード。
話をしていた最中での出来事だったためにノーラが彼に尋ねるが、そんな曖昧な返事しか返ってこない。
「 | もう…レナちゃんのことといい、最近のリチャードさんヘンだよ」 |
「 | この短い間に色んなことがあったからね。ちょっと疲れてるのかもしれない。大丈夫だよ。多分、心配するほどじゃないから」 |
「 | ああ…リックくん。次の時間に使う教材を配るのを手伝って欲しいんですけど」 |
箱を抱えながら教室に戻ってきたフィオリナがそう言う。
「 | ダメ! リチャードさんは休んでて。代わりに私がやるから」 |
「 | ならお願いするわね。……リックくん、尻に敷かれてますね」 |
あの父と対等に渡り合うには、そのくらいの方がいい。
そう言おうとしたリチャードだったが、途中で言葉を詰まらせてしまった。
「 | い、いや……。ごめん、本当に疲れてるのかもしれない」 |
「 | 大丈夫ですか? 顔が真っ青ですけど。次の時間は保健室でお休みになられては如何ですか?」 |
何故だろう? 嫌な予感がする。
心臓が早鐘のように鼓動を繰り返し、冷や汗が全身から溢れ出す。
まるで自分の半身がえぐり取られるような、例えるならそんな感覚が彼を襲っていた。
「 | ──やっぱり保健室に行こ、リチャードさん。キャロルさん、これお願い」 |
ノーラが肩を貸し、リチャードを保健室へと連れて行く。
その体は、不自然なくらいに冷たくなっていた。
カナンとザブランの国境付近。
その両国を繋ぐ山道に、彼はいた。
10数人の暗殺者たちの亡骸の中心で、愛剣を支えとして仁王立ちするガラハド・シルバーヘルム。彼もまた、激戦の末にその命を落としていた。
──これが、カナンの猛将と恐れられた男の最期だった。