第01話
2人の王女と神々の庭
「おはよー。何の話?」
「あ、レナ。ほら、これ見てよこれ、じゃーん!」
「『神話の庭コンテスト』……?」
キャロルから渡された紙切れに目を落とし、そこの文言を読み上げる。
神話の庭コンテストとは、ここラグナラ神学校で年度始めに行われる人気投票のようなもので、神話の12神の名を冠するにふさわしい者たちを選出するというものである。
選ばれた生徒らにはその後1年間の栄誉が与えられるほか、主要な行事では特別な仕事が設けられたりもする。例えるなら生徒会選挙に近い。
「でさでさ、今年の1年には王女様がいらっしゃるかもって話でしょ? だからみんなで投票しようって話してたの」
1年生にとっては入学してすぐの行事のため、投票といっても実際は人気の上級生の顔見せ程度のイベントでしかない。
過去に1年生が選出された事例もあるらしいが、それは貴族の出身だったり、生徒会長の弟だったりという肩書きがあってのものだ。
そして今年は、それが王女様というわけだ。
このカナンには御歳12歳になる第3王女がいる。
上の2人の姉とは違いあまり公式の場に出たことはないが、噂では10万人に1人という魔法の力を持っているらしい。
12歳というのは世界で唯一の魔法学校、ここラグナラ神学校の入学条件であり、ゆえにその王女様がお忍びで入学されているのでは、というのがもっぱらの噂であった。
「でもそのお姫様に投票って、それは誰か目星がついてるってことかい?」
エレノアの肩越しにひょこりと顔を出し、その長髪の少年がキャロルに尋ねる。
彼、リチャードはエレノアに合わせてわざわざ2年遅らせて神学校に入学してきた彼女の従兄妹で、常にエレノアと一緒にいることからその仲を噂されている少年だ。
「ばっかねー、そんなの決まってるじゃない。ねぇ?」
「ねー」
キャロルらがそう言って面白そうに笑っていると、教室に担任の先生がやってくる。そしてその傍らには、1人の女生徒。
「はい、皆さん席についてください」
「ほら、彼女よ彼女」
フィオリナ・ローズフィールド。ブロンドの長髪が似合う美少女で、ここ魔法科1年の学級委員長を務めている。
容姿端麗、成績優秀、身元詳細不明、そして偽名とも思えるその名前と、確かにお忍びの王女と思われるには充分すぎるほどだった。
その彼女は美しい字で黒板に何かを書くと、くるりと振り返って、そして言った。
「これより懇親会の実行委員を決めたいと思います。内訳は会場の設営に3名。希望者は挙手をお願いします」
それは先刻話題に上っていたコンテストの、事前懇親会に関するものだった。
1年生は上級生のことを何も知らないので、投票前に親睦を深めておこうというわけだ。
1年生にとっては、投票よりもむしろこちらの方が重要だったりする。
「あー、みんな面倒なのは分かるが、なにも1年だけで全部やるわけじゃない。上級生らが中心となって指示を出すから、1年は荷物運びをする程度でいいんだ」
誰も立候補しないのを見かねて、担任のコーネルが口を挟んでくる。
そしてなお誰も立候補しないでいると、やがて見かねたリチャードが実行委員に申し出た。
「じゃあ僕が。それとレナも」
「私も!?」
「では私を入れて3人で。エレノアさん、お願いできますか?」
「え…あ、うん…じゃあ」
そうしてクラスメイトらの拍手によって、朝のHRは締めくくられた。
(なんで立候補なんてしたのよ)
(僕はあのクラスじゃ最年長者だからね)
(だからってなんで私まで……)
(レナを1人で帰すわけにはいかないだろう?)
(ばっ…何言っ……!)
「仲がよろしいんですね」
2人の話が聴こえていたのか、くすくすと笑いながら前を歩いていたフィオリナが言う。
「従兄妹といっても、小さい頃から一緒でしたしね。僕たちは殆ど兄妹みたいなものですから」
「うらやましいです。私には…そういう人はいませんでしたから」
「……誰も?」
「周りに人はたくさんいましたけど、それだけ。私はいつも孤独でした」
そう言って、フィオリナは遠くを見る。
その言葉はまるで、彼女が王女であると言っているようにも聴こえた。
「あと1種類…この辺りのはずなんですけど……」
一旦足を止め、フィオリナが手元の地図を確認する。
今3人が来ているのは学校の裏山で、ここに生えている薬草を採ってくるよう言いつかっていた。
魔力を持つ人間は植物が持っている魔力の『色』が『見え』るため、山林での方向感覚や距離感は普通の人間のそれを遥かに上回る。
あまり整備をされていないこの場所に、魔法科の3人がつかわされたのはそんな理由からだ。
ちなみに通常「見える」と表現される魔力の色だが、感覚的には「聴こえる」に近い。どのみち、他の五感とは異なる感覚なのでそれ以上の説明はできないのだが。
「二手に別れようか」
「そうした方が良さそうですね」
「じゃあ僕はこっちを探してみるよ。ローズフィールドさん、レナをお願いできるかな?」
「フィー、で結構ですよ」
「じゃあ僕もリックで。こっちはレナ」
「また勝手に決めて……」
「レナだって、他人行儀は嫌いだろ?」
「そっちじゃなくて! ああもう…いいけど別に」
「じゃあよろしく」
そう言ってフィオリナに軽く手を振ると、リチャードは別の方へと歩いて行った。
「お2人はお互いの色を見慣れてますから。少し離れてもすぐに落ち合えるようにと判断されてのことですよ」
「それはそうなんだけど……」
ぷう、と頬を膨らませながらそう言うエレノア。
そんな彼女を微笑ましそうに眺めるフィオリナだったが、突如自分の足に走った激痛にその表情を歪める。
「きゃあぁっ!?」
「フィーさん!?」
バランスを崩したフィオリナの体が、そのまますぐ傍の崖に吸い込まれる。
エレノアは崖の底でうずくまる彼女の姿を確認すると、自らもまたそこへ降り立った。
「足から血が…そっか、蛇に噛まれたんだ。待ってて、今吸い出すから!」
「どうして…レナさんまで降りてきた…んですか。これじゃ助けを呼びに行くこともできな……っ!」
崖は5m程度とそう高いものではないとはいえ、道具でもなければ登るのはまず不可能だろう。
回り込めばどこからかは登れるかもしれないが、怪我人を抱えてというのはこの小柄な少女には無理な話だ。
「時間が経てばリックが気づいてくれるよ。それよりも、もし毒蛇だったら放っといたら危険じゃない!」
「……アルタリカシマヘビ。大陸全般に棲む小型の毒蛇で、噛まれれば人間なら30分で死に至る。つまり30分以内に助けが来れば、助かる可能性はあったの」
まるで辞書でも読むかのように、淡々とした口調ですらすらとそう述べる。
「でも、吸い出せば……」
「今までに3人…この蛇に噛まれた子を見てきました。いずれも解毒剤が手元になくて、やっぱり吸い出すしかなかったの。3人のうち生き残ったのは1人だけ。残る2人は…亡くなりました」
フィオリナの言葉に、エレノアは体温が下がる感覚を覚える。
エレノアはなんとかして崖を登ろうと試みるが、やはり思うようにはいかない。そうして何度か転げ落ちるのを繰り返す内に、その制服は砂で汚れ、白い肌は所々血で赤く滲んでいった。
「……どうしてそこまで必死になるの? 他人なんて、どうなったって構わないじゃない」
それは、いつも人のために尽くしている彼女からとは思えない発言だった。
「どうでもよくないよ! フィーさんはクラスメイトだし、そうでなくても、目の前で死にかけてる人を放ってなんておけないよ!」
「…………」
「最後まで諦めちゃダメ……何かできることがあるなら、なんでもやらないと!」
再度石に手をかけ、その崖を登ろうとするエレノア。
フィオリナはしばらくその光景を眺めていると、やがてふっと笑みを漏らして言った。
「……変わった王女様ね」
「え……?」
戸惑うエレノアに、フィオリナが言葉を続ける。
「死んだ2人は短くて2時間、長くて4時間保ったわ。仮に彼が事態の異常に気づいたとしても、ここじゃ彼からはあたしたちの存在は『見え』ない。恐らく声も届かないでしょう。待ってるだけじゃ、助からない可能性の方が高いでしょうね」
「どうすれば……」
「そうね…その辺に落ちてる小枝を集めてちょうだい。水を被っていない、乾いたのをできるだけ。落ち葉もね。とりあえず…できることはやってみましょう」
エレノアは首だけで頷くと、急いで言われた通りに周囲のそれらをかき集めた。
元々あまり整備されている林ではない。周囲から風で飛ばされてきた小枝や枯れ葉には困らなかった。
そして両手に抱えるほどのそれをフィオリナの前に置くと、エレノアは次の指示を待った。
「離れてちょうだい」
フィオリナは短くそう言うと、集めた落ち葉の上に手をかざした。
ほどなくしてそれがちりちりと音を立て、白い煙が立ち始める。
「これ…魔法!? うそ…まだ私たち使い方なんて習って……」
「独学だから怪しいけどね。枯れ葉くらいならなんとか燃やせるわ」
その言葉通り、やがて白い煙は赤い炎となって枯れ葉を、小枝を燃やしていく。
エレノアはフィオリナの体を火から遠ざけると、火を絶やさないための追加の薪を集めにかかる。
「一度にあんまり足しすぎないで。火が強くなりすぎると、煙が出にくくなるから」
そう言うフィオリナの顔は真っ青に青ざめ、玉の汗をびっしりと浮かべている。
魔法を使ったことによって毒の回りが早くなった可能性もあるし、そうでなくても体力を消費したのは間違いない。
「リック…これで気づいてくれるかな」
「さすがにこれで気づかなかったら、護衛失格でしょう。あたしは彼のことよく知らないけど…普段飄々として見えて、意外とよくあなたのこと見てるわよ」
先ほどの言葉は聞き違えではなかったようだ。
フィオリナは確実に、エレノアたちのことに気づいている。
「意外…って顔してるわね。王宮づきの騎士団長の家の子が、わざわざ2年遅らせて従兄妹と一緒に入学する…普通に考えれば、一番怪しいでしょう」
そして彼女は「それに私でないことは、私自身がよく知ってるしね」と付け加えると、悪戯っぽい笑みを見せた。
「……そうね、このままじゃフェアじゃないわね。あたしのことも話しておきましょうか。……あたしは…孤児院で育ったの」
「え……」
口調や仕草、その他普段の彼女を見る限りではとてもそんな風には見えない。
だが彼女の目は嘘を言っているようには見えなかったし、なにより先ほどの話──どこにでもいる普通の毒蛇に噛まれて、3人が3人とも解毒剤が手に入らなかった── 一般の家庭であれば、普通はそこまでの不運には恵まれないはずだ。
「孤児院って、みんなが肩寄せ合って力を合わせて生きている…そんなイメージがあるでしょ? 実際は違うわ。自分は他の誰よりも不幸だと思い込むことに酔っていて、決して他者は認めない。食事のおかずの大きさ…配給の衣類…そんなものもいちいち他人と比較しては、差をつけたがる。他人より優っていることは優越感でもあるけれど、それは同時に妬みの対象ともなる……」
彼女の目が、ぎらりと妖しい光を見せる。
「あたしには魔力があった。いずれはラグナラ神学校に入学して、卒業さえすれば将来は約束される……。そんなあたしには友達どころか、目を合わせてくれる者さえいなかった。だからあたしは必死になって勉強した。文字も独学で憶えた。手に入る範囲の本は片っ端から読み漁った。入学してから、決してボロを出さないようにね。……魔法科には貧民の子も混じってはいるけれど…分かるでしょ? ノーラさんなんかはそれが枷となって、今苦労しているわ」
ノーラというのは貧民街出身の女生徒だった。
文字を読むのすらたどたどしく、学校には単に魔力という資格があるからいることができる、といった感じだ。
いじめのようなものも少なからず見られ、その度にフィオリナが間に入ってそれを収めていた。
「世の中には、いくら努力しても報われない人がごまんといる。でもあたしは違う。自分の力で人生を変えてみせる。例えそのために、どれだけの犠牲を払っても……!」
「偉いんだね……」
エレノアは思ったままの感想を口にする。
同じ魔力を持った自分でも、彼女には特に思い描いた確固たる意志はない。
家柄のために将来は約束されているし、それでもラグナラ神学校に入学したのは、単に魔力を持つからというだけの話だ。
この学校を卒業してもしなくても、彼女の将来に何ら影響はない。
そんな風にのほほんと今を生きている自分が、恥ずかしくすら思えてきてしまう。
「なんであなたが泣くのよ…まったく。為政者ならもっと大局的に構えて、あたしみたいな小さな存在は容赦なく切り捨てていくくらいの態度を見せないと…馬鹿にされるわよ」
「そんな人間になるくらいなら、馬鹿でもなんでもいいよっ!」
「ふぅ…つくづく、調子の狂うお姫様ね。……あたし、あなたたちがうらやましい…って言ったよね。あれは本当。……皮肉なものね、孤児院は冷たい人間ばかりで、王侯貴族は人情味に溢れているなんて」
そう言って、彼女が優しい笑みを見せる。
普段しているような作った笑みではなく、これが本来の彼女なんだと思わせる、そんな自然な笑みを。
「レナ! そこにいるのかい!?」
そこへ、頭上から聞き慣れた声が響いてくる。
その声にエレノアの表情は一瞬明るさを見せ、そしてまたすぐ険しい顔に戻った。
「リック? うん! フィーさんが毒蛇に噛まれたの! 一刻も早く、解毒剤をお願い!」
「なんだって!? 毒の種類は?」
「衛生医の方にシマヘビと告げてください。そうすれば分かってもらえます」
「分かった!」
高熱を出しているとは思えないくらいにはっきりとした口調で、リチャードにそう伝える。
恐らくここまでになるのは、相当な努力をしてきたのだろう。
「……噛まれてから大体30分弱…ってところかしら。多少早く回っていることを計算に入れても、この分なら間に合いそうね」
そう言うと、フィオリナはそのまま気を失ってしまった。
「・・……ここ?」
「良かった…気がついたんだね」
フィオリナがぼーっとした目で室内を見回す。
壁も天井も、あらゆるものが白い世界。
白くないのは、今自分の目の前にいるブラウンの髪の小柄な少女だけ。
「レナ…さん?」
「フィーさん、あれから3時間も眠ってたんだよ。具合はもう大丈夫?」
「私…そうだ、薬草集め……!」
「リックがやってくれたから、心配ないよ。今はもう終わらせて廊下で待ってる」
それを聞いたフィオリナは自分の姿を確認すると、やがてその身に何が起こったのかを思い出す。
「……ああ、ごめんなさい。私、お二人にご迷惑をおかけしてしまったんですね。何とお詫びを言っていいか……」
普段の丁寧な口調で、そう言う。
「それと…夢でなければ私…熱にうなされてその…余計なことを口にしなかったでしょうか……?」
「私がこの国の第3王女、セシリア・ホワイトファングだとか?」
エレノアが意地悪っぽい口調でそう言うと、フィオリナの表情がみるみる内に変わっていく。
「心配しなくていいよ。私だって素性隠してるのは同じだし、こちらとしても、フィーさんがいてくれた方が都合がいいしね」
フィオリナはしばらくエレノアの顔をじっと見つめて、やがて諦めたような表情で苦笑を漏らす。
「ばれてしまったことは仕方がないかな。願わくば、レナさんの口が堅ければいいんだけど……」
「……私ってそんなに口が軽そうに見える?」
「ええ、かなり」
「あ、ひどーい!」
怒った表情を見せたのも束の間。その後は堰を切ったように、お互いに笑い合う。
──それはまるで、昔からの友達同士だったかのように。
「レナー? フィーさん目が覚めたのかい? もう入ってもいいのかな?」
「あ、こら! いいって言うまで入ってくるなー!」
「ごがっ!?」
適当に投げた薬品瓶が、扉を開けたリチャードの顔面に直撃する。
「あ、ごめ……」
「本当にいいコンビ……。ごめんなさいね、リックさん。すぐに着衣を整えますから、あともう少しだけ待っていて下さい」
「ふ…ふぁい……」
涙と鼻血を流しながら、言われた通りに扉を閉める。
たださすがというべきか、薬品瓶だけはしっかりと受け止めていた。
「……と、もうこんな時間。みんなお夕飯どうしたかな」
「??? ご飯?」
「うん、お金がないから学校の寮に入ってるんだけど…実は今日、私が部屋の夕食当番だったの」
「サボっちゃった」というような表情で、エレノアにそんなことを言ってくる。
その笑顔は決して作ったものではなく、紛れもなく本心からのものだった。
翌日の教室は、フィオリナが毒蛇に噛まれたというニュースでもちきりだった。
どこにでもいる毒蛇ではあるのだが、状況とも相まって危険な事態に陥っていたこと、そしてそのために学校が業者を呼んで、林の整備に当たっていることなどが噂されていた。
「おはようございます」
『フィオリナさん!』
そこへ噂の主が現れ、キャロルを中心とした噂好きの女子グループが一斉にそちらを向く。
そんな彼女の右足に巻かれた包帯が、噂が事実だったのだと物語っていた。
「おはよ、フィーさん」
「……ん。おはようございます」
「具合はもういいのかい?」
「ええ、すっかり。昨日はご迷惑をおかけしました。今日は昨日の分まで働きますね」
「気持ちだけでいいよ、病み上がりなんだから。その分レナに働いてもらうから」
「そうそう私が…って、え?え?」
「昨日のアレ、結構痛かったんだからね。それくらいしてもバチは当たらないだろ」
「うー……」
「くすっ……あはははははっ」
「ひどっ! フィーったらそんなに笑わなくても!」
「ごめっ…なさ……っ。つい、昨日のことを思い出しちゃって……」
フィオリナの笑い声につられて、他のみんなも次第に笑い出す。
キャロルあたりは、彼女たちに何があったのか興味津々だ。
ずっとこんな空気の中にいられればいいのに──エレノアは心の底からそう思った。