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第02話
封印の洞


「では、属性ごとに5班に分かれてそれぞれ試してみるように」

 担任のコーネルの指示で、それぞれ自分と同じ『色』を持つ者ごとにグループを作る魔法科1年の生徒たち。

簡単な基礎訓練は今まで幾度となくあったが、本格的な実習はこれが2度目となる。

エレノアと同じ運動の属性は多い方で6人。リチャードの光の班は4人で、フィオリナの熱の班は5人。

キャロルやノーラのいる電気の班は3人…とここまではいいのだが、魔法使い全体でも希少な時空の班はグレンただ1人しかいない。

時空は魔法の使い方も他の属性と全く異なるため、教え合える相手がいないというのは大きな痛手だった。

「お、すっげ。お前もうこんなものまで持ち上げられるのかよ」

「コツさえ掴めば難しい属性じゃないしなー。えーと…エレノアだけだっけ? あと何も動かせないのって」

「う、うるさいっ!」

 雑念を捨て、目の前の紙片に手をかざすエレノア。

紙片を動かすイメージを頭の中に作り、力を注ぎ込んで…注ぎ込んで…注ぎ……

「できない……」

「うーん…魔力を集中するところまではできてるんだけどね。どうやらそれを外に出せないでいるみたいだ」

 いつから後ろに来ていたのか、半べそになっているエレノアの頭をぽんぽんと叩きながらリチャードがそう言う。

「自分の『色』を支配するつもりで。体の内側から外へと押し出すイメージを作って。やってみて」

「う、うん……」

 言われて、その通りのイメージを作ってみる。

内側から外へ…外へ…外……

「うう……」

「うーん…とりあえず他のみんなの魔力がどうなっているか見て、自分とはどう違うのかを認識することだね」

 それくらいは分かっている。

他のみんなは手の平に集中した魔力を物体へと放出し、その力で物を浮かせている…それはエレノアにも『見え』ている。

そして彼女は手の平に魔力を集中させるところまではできているものの、それを体外に出すことができずにいる…それも分かっている。

分かっているのにやり方が分からなくて、結果どうにもできずにいた。

まるで3本目の腕を動かすよう…という表現はありきたりだが、まさにそんな感じだった。

「光、熱、運動の3つの使い方は基本的に同じだからね。家でも僕が教えてあげるよ。気長に行こう」

 リチャードに言われて、その例外の電気班と時空班を見やる。

電気班は皆一応の基礎はできている。時空班のグレンは…やはりというか苦戦しているようだった。

どうやらこのクラスで全く力が使えないのは、今や彼とエレノアだけのようだ。

「レナ、ちょっといいかな」

「あ、フィー」

 がっくりと肩を落とすエレノアに、今度はフィオリナが声をかけてくる。

「もう一度やってみて」

「でも……」

「いいから」

 言われた通りに、再度手の平に魔力を集中させる。

ここまではいい…ここまでは…けど………

(え……?)

 ふっ…と、手の中にあった魔力がその先へと飛び出し、机の上の紙片を弾き飛ばす。

「おめでとう」

「え?え?」

 何が起こったのかまるで分からずにいるエレノアをよそに、リチャードがフィオリナに言う。

「他人の魔力の流れを操作できる…んだ、すごいね」

「自転車の補助輪のようなものです。私ができるのはここまで。あとは今のイメージを忘れないで、何度も繰り返し練習することですね」

 2人の会話を聞いて、エレノアは初めて自分に何が起こったのかを理解した。

確かに一人前の魔法使いともなればそんなことができたりするとは聞いている。

けれどまだ正式に習い始めたばかりの1年生でそれができるというのは、例外中の例外だ。

これなら、先の神話の庭コンテストで女神フォント候補としていい線まで行ったのも充分頷ける。

「さて、あとはグレンさんですね。私たちとは魔力の使い方が異なるので、私ではお力になれるかどうか……」

「時空の力はただでさえ扱うのが難しいからな。上級生に3人いるから、彼らに習うのがいい。毎年そうしているから彼らも事情は分かるだろう。都合のいい時を教えてくれれば、彼らには私から話を通しておこう」

「はい…お願いします」

 そう口にするグレンの顔には、汗がびっしりと張りついていた。

彼自身はそれなりに大きな魔力を持っており、エレノア以上にそれをコントロールすることもできている。

けれど光、熱、運動の3つに対して時空は力の使い方が根本から異なり、前者が石を手で投げるようなものだとすれば、時空は手を触れずに瞬時に移動させるようなものだと言われている。

電気の力もそれらとはまた違うのだが、先の例えでは石を棒で弾き飛ばすようなイメージで、コツさえ掴めばそれほど苦労はしないらしい。

「熱を取りますね」

 フィオリナがグレンの顔についた汗を自分のハンカチで拭き取り、彼の額に右手をかざす。

熱魔法は炎を作り出したりする他、こうやって逆に冷気を発生させることもできる。ただ熱よりも冷気の方が扱いが難しいので、これもこの時期の1年生が扱うのは例外中の例外だ。

「ありがとうございます…フィオリナさん」

「本当は全身を冷やせればいいんですけど…今の私ではこれが精一杯なんです。ごめんなさいね」

「いえ、充分です。もう大丈夫です。ありがとう」

「そうですか?」

 熱気を取られたグレンの表情は平静を取り戻し、上がった息もすでに整っていた。

逆に力を使いすぎたフィオリナはやや憔悴している感があったが、それは多分リチャード以外の者は気づいていないだろう。

「さ、各自反復練習を継続するように。グレンも…たしか3年も今は実習の時間だから、都合が良ければ今からでも紹介するが?」

 コーネルの言葉に頷いたグレンが、彼と共に教室を後にする。

そうして教師を失った魔法科1年の教室は、途端にざわめきに包まれた。

「ねぇねぇ知ってる? 裏の林に結界が張られてる洞窟があるんだって」

「えー、なになに?」

 基本的に良家の者しか入学できないこのラグナラ神学校だが、魔力さえあればほぼ無条件で入れる魔法科だけは勝手が異なる。

それゆえに他の科とは温度差があり、また疎まれていたりもする。

王女であるエレノアも普段は彼らに違和感なく溶け込んでいるのだが、今に限っては彼女にそんな余裕はなかった。







「姫様、そろそろ休憩なされた方が……」

「いいの!やるの!」

 屋敷に帰ってからも、エレノアの奮闘は続いていた。

彼女の隣で指導をつけてくれているこの初老の男性は、宮廷魔導師のホアン。

彼女がラグナラ神学校に入学した折からこのシルバーヘルム家の屋敷に参じて、こうやってエレノアの魔法その他学業などの面倒を見ている人物だ。

ホアンも当然他人の魔力の操作はできるので、先ほどからも何度もやってもらっているのだが、やはり独力となると成功しない。

遠心力をつければと思い手をぶんぶんと振ってみたりもしたのだが、手の平にある魔力は放出されるどころか、集中力の途切れによって逆に霧散してしまった。

「いいから休憩しなよ。根を詰めてもうまく行かないよ。それよりセシリー、宿題は終わったの?」

「……まだ。それよりリック! 普段からレナで慣らしておいてって言ってるでしょ? ボロが出たらあなたの責任だからねっ」

「荒れてるね。だからほら、休憩しなって。落ち着いたら宿題。僕が見てあげるから」

「うー……」

 リチャードに言われ、しぶしぶ休憩を取ることにする。

すると集中していた時にはそれほど感じなかった疲労感が、どっと自分の体にのしかかってくるのがはっきりと感じて取れた。

「うわ…だるぅ……」

「魔力の放出は、そのまま疲労として表れるからね。端から見てた僕らにはそれがはっきりと見えてたけど、セシリーは熱くなっててそれに気づかなかったんだ。どれだけ周りが見えなくなってたか分かった?」

「だからその名前は…あれ?」

「どうしたの?」

「……ないの」

「何が?」

「のーと…というかカバンの中身全部……」

 どうやら周りが見えなくなっていたのは、学校にいた時からのようだ。







「こんな時間でも、まだ結構明るいんだね」

「もうすぐ夏だしね。でも結構遅くなってるから、早くしないと夕食の時間に間に合わないよ」

「うん、分かってる」

 厳格なラグナラ神学校は昼間でもあまり賑やかというわけではないのだが、やはり人気そのものがないと雰囲気がまるで違う。

クラブ活動というのも一時期はあったそうだが今はなく、それがまたこの静寂に一役買っていた。

「あれ? フィー?」

「あ、レナ…リックくん」

 教室の手前まで来たところで、中からフィオリナが飛び出してくる。

彼女が住まっている学生寮は敷地内にあるので来ようと思えばすぐ来られるのだが、それでもこの学校では放課後に生徒がいるのは珍しかった。

「どうしたの? フィーも忘れ物?」

「ノーラさんが…寮に戻ってないんです。見かけませんでしたか?」

「ノーラちゃんが?」

 珍しく肩で息をしながら、フィオリナが言った。

「いや…少なくともここに来るまでの間は見てないよ。学校の中はもう大分見回ったのかい?」

「ええ…一通りもう2回は。女子寮の誰も彼女のことは知らないそうです」

「街に遊びに行ってるだけじゃないの?」

「寮の門限は6時までだし、そもそも彼女は……」

「あ…そっか。ごめん……」

 ノーラは貧民街の出身で、街に遊びに行けるだけのお金など持ってはいない。

つくづく貴族として慣れきってしまっている自分の感覚に、エレノアは嫌気が差す。

「男子寮の生徒には訊いてみたのかい?」

「いえ、学生寮は異性の立ち入りを禁じてますから」

「なら僕が行ってみるよ。ちょっと待ってて」

「あ、私も一緒に行きます。寮は例え本校の生徒でも、寮生以外の立ち入りを禁止しているんです。私が寮長に許可を頂きます」

「あ、ちょ……っ」

 いきなり走り出す2人と空っぽのカバンを交互に見やるエレノア。

そしてとりあえず後で取りにくるのだからと思い自分の机にカバンを放り出すと、彼女も2人の後を追った。







「……どうでしたか?」

 男子寮から出てきたリチャードに、フィオリナが尋ねる。

「ビンゴだよ。昼間キャロルさんたちが林の洞窟のことを話してたよね? 男子連中が肝試しとか言って、ノーラさんをそこに行かせたらしいんだ。まだ戻ってないのにはさすがにうろたえてたけど、とりあえず一発殴っといた」

「あの洞窟…ですか?」

 2人の視線が一斉にエレノアに集まる。

「な、なにかな? 行くんでしょ? 早く行こうよ」

「レナはその…残っていた方がいいと思うの」

「僕も賛成だね。レナ、君はここで待っててくれ」

「ちょ、ちょっとリック……?」

「セシリー。これは君の護衛としての僕の判断だ。君を僕の側に置いておくよりは、ここに居てもらう方が安全だと判断した。処罰は後で受ける。だから今は、言うことを聞いてくれ」

「ななななな!?」

 ぺらぺらと2人の秘密を暴露するリチャードに、エレノアは頭の血が沸騰しそうになる感覚を覚える。

「……リックくん、私があなたたちのことを知っていると気づいて……?」

「入学当初から気づいてたよね? どうやらレナもバレてることを知ってる風だったし、言っても別に問題ないと思ったんだけど?」

「そ、それならそうと私に言っとけこのバカー!」

 エレノアの拳をひょいとかわすと、真剣な面持ちで先を続ける。

「──とにかく。本当に危険なんだ。本当なら教職員に連絡を取って、先生方だけで解決してくれればそれに越したことはない。でも今から先生方の家を訪ねていたらノーラさんの身が危ないし、僕らが行くより他にない」

「とにかく行きましょう! 早くしないとノーラさんが……」

「うん。いいねレナ! 君は大人しくしてるんだ」

「待ってよ! どうして危険なのか教えてくれなきゃ納得できないよ!」

 2人の後を追ってエレノアも走り出す。

「来るなと言っているだろう!」

「説明してって言ってるでしょ! それに、先生がダメなら先輩にでも頼めば……」

「……少なくとも、男子寮では片っ端から当たってみたよ。でもダメだった。2年生以上ならなんで危険かはよく知っているし、そもそもこの事態になんとか対処できるかもしれない4、5年は、相部屋が嫌だとかでほとんど外部のアパートに出払ってしまっていた」

「でしょうね。男子寮でその有様ですから、女子寮では頼むだけ時間のムダでしょう」

「だから…何がそんなに危険なの?」

 なおも走ることをやめずに、リチャードに更に尋ねる。

「堕天した元12神の炎神フォルテス…そのフォルテスが堕天したきっかけになったとされる魔剣が封印されているんだ」

「へ?」

 そんなの伝説じゃあ…と言おうとしたエレノアに、フィオリナが補足する。

「フォルテスとピアヌスは、軍事国家ロアナのある双子の王が神格化されたものが起源なの。ある日フォルテスは一振りの剣を手に入れ、それから人が変わったように殺人を犯すようになったと言われているわ。それを退治したというのがロアナ帝国第9代皇帝であり、現12神の氷神ピアヌスなの」

 歴史には疎いエレノアだったが、ロアナ帝国の名前くらいは知っている。

現在のカナンを含むほぼ大陸全土を掌握していた国で、各地の信仰を纏め現在ある神話の形にした国だ。

たしか内部分裂によって自然消滅したとかで、現在は大小様々な国に分化している。

「その後の調査で剣は本物の魔剣だったことが分かってね。当時の大賢者でもあり、このラグナラ神学校の創始者でもあるラナローが、他の力のある魔法使いらの力も借りて、やっと封印したって代物なんだ。……危険なの、分かってくれた?」

「でも、そんな封印が施されてるんなら簡単には触れないんじゃ……」

「だったらノーラさんが帰ってこない理由がないでしょう。単に道に迷っているか怪我をしているかならおなぐさみね」

 ──その時。

ざわり、と周囲の空気が震えたと思うと、無音なのか騒音なのか分からなくなるくらいの激しい魔力の渦に包まれる。

なんとか倒れないように必死に意識を保っていると、しばらくしてリチャードが口を開いた。

「……残念ながら、その可能性は消えたみたいだよ。どうやら…遅かったみたいだね」

 リチャードが洞窟の口を指さす。

まるでそこが先ほどの爆発の中心であったと主張するかのように、周辺に残っていた魔力がその一点へと収束していた。

「……分かったらここで待ってること。絶対にこれ以上はついてくるんじゃないよ。──死にたくなかったらね」

 そう言い残すとリチャードは、再び洞窟へと向かって走り出す。

フィオリナはエレノアが動かないのを確認すると、その後を追った。

エレノアは──動かないのではなく、動けなかった。







「なんて…すごい魔力なんだ」

「ノーラさん……」

 洞窟は浅く、ノーラは外からでも見て取れる程の位置にゆらりと立ち尽くしていた。

彼女が手にしている剣は一見するとただの錆びた鉄の棒だが、魔力を持つ者が見れば嘔吐感さえ伴う程の強烈な魔力を放っていた。

その魔力の色は五大元素のどの色とも取れる。

洞窟の中にあってノーラの姿がはっきりと見えているのも、恐らくは剣そのものが発光しているのだろう。

「けど、刀身自体は錆びてて良かったよ。これならなんとかなりそうだ」

 そう言ってリチャードが適当に拾ってきた木の枝で構える。

ノーラはというとそんなリチャードを見ようともせず、先ほどと同じくただ立っていた。

「はぁっ!」

 リチャードが地を蹴り、魔剣を狙う。

とにかくノーラの手から離してしまえばいいはずだ。

騎士の家の子息として育ったリチャードは、むしろ魔法よりも剣の方を生業としている。

普通の相手であれば剣を落とす程度はどうということはない…はずだった。

「甘い」

 次の瞬間、払われていたのはリチャードの枝の方だった。

無防備になったリチャードに今度は剣を持っていない方の手が伸び、閃光と共に後方へ弾き飛ばされる。

「ぐうっ!?」

「リックくん!」

「……目障りだ」

 そう言ったノーラの手からは今度は稲妻がほとばしり、倒れ込んだリチャードと、彼に駆け寄ったフィオリナを容赦なく襲う。

「きゃあああああっ!!」







「……フィー?」

 洞窟からはそれなりに離れていたが、それでもはっきりとフィオリナの悲鳴が聞いて取れた。

まさかリチャードがいてそんなとは思ったが、決して聞き間違いではない。

こんな時、自分はどうすればいいだろう?

行ったところで何の役にも立たない。むしろ足手まといになるだろう。

「でも……!」

 それでも2人を放ってはおけない。

もし2人が大変なことになっていたとしたら、なんとか安全な場所へ連れ出すくらいはできるかもしれない。

そう思うより早く、エレノアの足は洞窟へと向かっていた。







「ぐ…う……」

「フィーさん……」

「一瞬早く、我の魔力を逸らしたか。若いが、なかなかやるな。とはいえ、今のでほとんど全ての魔力を消費してしまったようだが」

 ぐったりとしたフィオリナの体を抱きかかえると、リチャードは一旦洞窟の入り口まで身を退く。

「リック! フィー……?」

「レナ! 来るなって言った…いや、今はそんなこと言ってる場合じゃないな。フィーさんを安全な場所までお願い。あとは僕が…なんとかするから」

「リック!」

 フィオリナを彼女に預けると、洞窟の床に落ちていた枝を拾い上げて、その勢いのままノーラに斬りかかるリチャード。

枝と剣が打ち合う音が何度も何度も洞窟内にこだまする。

エレノアはとりあえず洞窟の入り口脇に身を隠すと、祈るようにそれを見守った。

「体力、魔力、剣技もまあ、若いにしては申し分ない。どうだ、我の力が欲しくはないか。貴様ならば、我の力を存分に扱える」

「そしてフォルテスみたいになれと言うのかい? だったらお断りだね」

「そうか、残念だが」

 ノーラがそう呟いた次の瞬間、リチャードが握っていた木の枝はバラバラに切り刻まれていた。

「バカな…そんな錆びた刀身で……」

「なりなど関係ない。刀身をかまいたちで覆えばそれは鋭利な刃となる。この時代の魔導師は、そんな基本的な使い方さえ忘れてしまったのか」

 リチャードの喉元に錆びた刀身をつきつけ、抑揚のない口調でそう言う。

確かにノーラの言ったように、刃物をかまいたちで覆うという使い方は存在する。

普通に何もないところにかまいたちを発生させるよりも遥かに簡単なのだが、それでも使えるのは熟練した魔法使いに限られる。

「リック!」

「来るなよ、レナ……」

 エレノアは必死に魔力を集中し、なんとか自分の力で剣を払いのけられないか試してみる。

「念動力か。無駄だ。その程度の力では我に触れることすらできぬ」

「く……」

 だがノーラにそう言われる以前に、やはり自分では力を外に出すことができずにいた。

何もできない自分が情けない……。

「もう一度だけ問おう。我の力が欲しくはないか」

「……ノーラさんを解放すると約束するか?」

「貴様さえ手に入れば、こんな身体など興味はない」

「……分かった」

 ノーラの手中にあった錆びた鉄の棒が、ゆっくりとリチャードの喉元を離れる。

その瞬間、リチャードが素早く一歩身を退き、かざした手の平から閃光を放つ。

「無駄だ」

「ぐあぁっ!」

 光が収まった時、膝をついて倒れていたのはリチャードの方だった。

肩を斬られ、赤い血が着衣を染め上げる。

「リック!」

「身体など、我を振る媒体に過ぎぬ。目など必要としていない。やはり貴様は、殺してしまうに限るようだな」

「そんなこと…させない!」

 無我夢中で全身の魔力を集中させるエレノア。

魔力を外に出すことができないのなら、内側にある状態で使えばいい。

彼女は自分の体重を可能な限り中和すると、思い切り大地を蹴ってノーラに体当たりを仕掛けた。

「愚か者め」

 だがエレノアがノーラの身体に触れるより早く、錆びた刀身が彼女の血を求めて構えられる。

対するエレノアは一瞬だけ魔力を緩和して地に足をつけると、今度はノーラを飛び越える形で再び跳んだ。

「悪あがきを」

「もらったあっ!」

 だがその一瞬の隙を見逃さず、リチャードがノーラに肩を当ててその体を押し倒す。

一方のエレノアは洞窟の奥にしたたかに体を打ちつけていたが、それでもなんとか態勢を整える。

「小賢しい」

 いまだノーラに握られたままの刀身が、リチャードの体に突きつけられる。

だがその切っ先がリチャードの体を貫くより早く、エレノアの足がその腕を蹴り抜いていた。

弾かれた剣は勢い良く回転しながら、ガリッと嫌な音を立てて洞窟の壁に突き刺さる。

幾分か曲がったように見えるその刀身に周囲の光が収束したかと思うと、やがて洞窟内は薄暗闇に包まれた。

「あ"ー、もうダメ。みんな、無事ー?」

 訊きながら、その場に力なく倒れ込むエレノア。

「私はとりあえず無事。……自力では立てそうにもないけど」

「僕も。ただ、フィーさんとは別の意味で立てそうにない。腰が抜けて……。まあ…結局、レナのおかげで助かったよ。……ありがとう。でも、もうこんな危険なことはしないように! 腰がいくつあっても足りないよ」

「……努力はするよ。でも約束はできない…かも。それはそうと、ノーラちゃんは無事?」

「ん? ああ、ちょっと魔力を消耗してるみたいだけどちゃんと目も開け…って……起きてたの?」

「はい///」

 リチャードの下敷きになったノーラが、熱っぽい目でリチャードを見つめていた。

「えーと、いつから?」

「実は取り憑かれてる間も、ずっと意識はありました。ごめんなさい、私なんかのためにシルバーヘルム様をこんな危険な目に遭わせてしまって……」

 消え入りそうな声でそう謝るノーラ。

だがそれは謝るというよりも、むしろ恥らうような声音だ。

「あー重そーだなー。早くどいてあげたらー? いい加減自分で立てるでしょー?」

 意味もなく意地悪っぽくそう言ってやるエレノア。

「ああ…そうだね。ちょっと待って…って…あの…腕、離して欲しいんだけど……?」

「えっと…あの、その…ご、ごめんなさい」

 口ではそう言うノーラだったが、その腕は一向にほどかれる気配はなかった。







 それから30分ほどして、上級生が連絡をつけてくれた先生が洞窟へとやってきた。

ノーラを含めた4人全員厳しく注意されたが、それでもフィオリナの顔もあってか一応の無処分となることができた。

対してノーラを洞窟へ向かわせた3人の男子生徒は停学処分となり、今後の調査結果によっては退学も有り得るということだった。

今後の調査というのがエレノアにはハテナだったが、これについては後日リチャードとフィオリナがこう説明してくれた。

「あの結界はね、僕らラグナラ神学校の生徒どころか上級の魔法使い複数人でも破るのは難しい代物だったんだ。そしてノーラさんが行った時には、既に破られた後だった。つまり……」

「彼らと結界を破った者との間に関わりがあるか、というのが1点。そして、破っておきながら何もせずに立ち去っている…それは意図的なのかどうなのか。意図的だったとしたら、何か他にも影響が出ているかもしれない。その被害の大きさ次第、というところでしょうね」

 国内でもトップクラスの魔法使いが伝説の魔剣の封印を解いておきながら、それを持ち去らずに放置していた。

持ち去らなかったのか、持ち去れなかったのか。それは分からない。

ただ言えるのは、何か良くないことが起ころうとしているのかもしれない…エレノアはそう思った。


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