第03話
神々の記録
夏休みに入って、エレノア、リチャード、フィオリナ、ノーラ、そしてホアンの5人は、シルバーヘルム家所有の別荘へ避暑に来ていた。
エレノアとしてはもう例年のことなのだが、それでもこれだけ同年代が集まって訪れたことは今までになかったので、それだけに楽しみにしていた。
「うーん…いーいお天気ー♪」
「うわ…ぁ……すごい…お屋敷ですねぇ……」
「あの…本当にありがとうございます。私たちまでお招き頂いてしまって。お邪魔ではなかったでしょうか?」
馬車を降り、屋敷を眼前にしたところで、ノーラとフィオリナがやや気後れしたように言う。
一方のエレノアとリチャードはというと至って普段通りで、文字通り自分の家でくつろぐそれだった。
「客室は充分にあるから、適当に1人1部屋使っていいよ。荷物を置いたら湖に釣りに行こう」
「了解。でもあの湖って、釣りよりもスケートの方が楽しいんだよね」
「無茶言わない。今は夏だよ」
呆れるようなリチャードの声をよそに、エレノアはホアンから自分の荷物をひったくる。
そしてそそくさといつもの部屋へ入って行ったかと思うと、瞬く間に全員分の釣りの準備を整えてしまった。
そんな彼女の様子を眺めながら、ホアンが穏やかに笑いながら言う。
「本当にお嬢様は、遊ぶこととなると目の色が違いますな」
「う……」
「準備はいいようだね。それじゃホアンさん、行ってきます」
「お気をつけて」
「みんな、餌はちゃんとつけられる?」
リチャードの問いかけに、エレノアとフィオリナがそれぞれ頷く。
フィオリナは育ちがいいように見えて実は孤児院の出なので、虫などには何ら抵抗はない。
ノーラもそれは同様で、見るとしっかり針には餌がついていたのだが、ノーラは慌ててそれを外すと、何もついていないその針をリチャードに差し出した。
「……いいけどね。1回だけだよ」
「あ、あはは……」
ノーラはばつが悪そうな顔で、エレノアより幾分か短い赤毛を無意味に指でもてあそんだ。
釣果は、あまり得意ではないエレノアが2匹で、リチャードは堂々の5匹。
フィオリナは釣りは初めてとは言っていたが、それでもしっかり4匹釣り上げていた。
ノーラだけはなかなか釣れなかったが、それでも最後に1匹だけは釣れた。
釣れた魚は、別荘に戻ってからバーベキューの材料に加えられる。
山中でバーベキューというのは風情があって良いものだが、そうしたのには別の理由がある。
この間の事件のこともあるため、リチャード独りでこの人気のない別荘にエレノアをやるのは危険と判断した。
そのため、宮廷魔導師のホアンが執事役としてここへ同行したわけなのだが、料理ができないことを隠すためには、このようにするしかなかったというわけだ。
夕飯を終えると、エレノアは早速とばかりに用意してきたチェス盤を広げる。
しかし誘ったノーラはルールはおろか、チェス盤を見るのも初めてだという。
そこでエレノアは基本的なルールを紙に書くと、それをノーラに渡した。
「さて…と。フィーさん、勉強でちょっと見てもらいたいところがあるんだけど、お願いできるかな?」
やがて片付けを終えたところで、リチャードが言う。
「ええ、私でお役に立てるんでしたら」
そう言うと、2人は談話室を後にする。
それを見ていたエレノアとノーラは、別荘に来てまで勉強するなんてと、互いに顔を見合わせて苦笑した。
と、そこへホアンが「おほん」と咳払いを一つ。
「お嬢様も見習って欲しいものですなぁ」
言いながら、ホアンの目がぎらりと光る。
「さ、さー始めよっかノーラちゃん!」
「え、わ、私まだ紙読んでる最ちゅ──」
「気合っ!」
「え、えぇ…っ?」
「……それで、本当のご用件は何でしょうか?」
「さすがだね。話が早い」
談話室から少し離れたところで、フィオリナがそう尋ねる。
その問いにリチャードは驚くこともなく、なおもそのまま歩き続けた。
「ノーラさんも誘ったのはそのためでしょう? レナ独り残しておこうとすると、彼女、ついてきちゃうから」
「ホアンさんに任せておいてもいいんだけど、色々と面倒だから…ね」
ははは、と乾いた笑いを漏らす。
フィオリナはホアンの素性については知らされていなかったが、その身のこなしからただものでないとは感じていた。
魔力は特に感じられないが、人としての気配も同時に消えているので、恐らくは意図的に隠しているのかもしれない。
(となると考えられるのは宮廷魔導師か…とにかく、執事なんかではないのは確かでしょうね)
「でも友達として招待した、というのも本心だよ。彼女も、君もね」
廊下の突き当たりまで歩いたところで、リチャードがその脇に置かれていたランプに火をともす。
そして床に取り付けてある木製の扉を開けると、その奥にある階段を降りて行った。
フィオリナもその後に続くが、ふとその階段や壁材に違和感を感じる。
地上の建物と比べて、明らかに造られた年代が異なるからだ。
まるで先にこの地下室があって、その後にこの別荘が建てられたみたいだった。
「──ここはね、元々王立図書館が建っていた場所なんだよ」
フィオリナの疑問に答えるかのように、リチャードが言う。
「それが火事で全焼しちゃってね。残ったのがこの地下書庫だけだったってわけ。その跡地にうちの別荘が建てられたんだ」
ほどなくして石造りの階段は終わり、地下室特有のひんやりとした空気が肌を刺す。
ランプの灯りなのでおぼろげにしか分からないが、視界に入るだけでもその蔵書数は目を見張るものだった。
「すご…い……ですね」
「後からシルバーヘルム家が足したものも多いけどね。それでも、延焼を免れた貴重な古書もたくさんあるはずだよ。気に入ったものがあったら期限をつけずに貸してあげるよ。つきあってくれたお礼にね」
「いいんですか? あなたのものじゃないでしょう?」
「どうせ埃をかぶってるだけだからね。有益に使ってもらった方がいいんだよ」
歩む足を止めずに、そう言って笑う。
初めはこの本を見せるのが目的かとも思ったフィオリナだったが、どうやらそうではないらしい。
だがどちらにせよ後で貸してもらえるということなので、とりあえずめぼしいタイトルを横目でチェックしておく。
「魔剣のことは…記憶に新しいよね。実はその関係で、ちょっと見てもらいたいものがあるんだ」
リチャードの声が途端に沈む。
なるほど…それでエレノアを外したかったのだと、フィオリナは理解した。
「──これだよ」
これ…と言われても目の前にはただ書庫の突き当たりの壁があるだけだった。
変わった模様のようなものが見えるが、ランプの火ではゆらめいてよく見て取れない。
そこでリチャードはランプを一旦足元に置くと、魔法で壁全体を照らした。
まだそんなに手馴れてないせいもあって決して明るくはないが、目の前にあるそれを認識するには充分だった。
そこに刻まれていたのは文字だった。
いや、壁に刻まれているのではなく、どうやら巨大な石版が壁に取り付けられているようだ。
その石版に刻まれている内容は、12神にまつわるもの。
作られた偶像、実在の人物…ある程度まとめられた形では教科書でもお目にかかる文面ではあるが、当時を記す歴史的資料としての価値は計り知れないだろう。
きっと神学科の教授にでも見せれば泣いて喜ぶかもしれない。
「──ありがとうございます。もう頭に入れましたから、光を消してくださって大丈夫ですよ」
「さすがに早いね。楽でいいよ」
魔力の光を消すと、足元のランプを拾い上げるリチャード。
短い時間だったとはいえ広範囲を照らし続けたとあって、その顔には少々疲労の色が見えた。
「さて、君はこれを見てどう思った?」
「そうですね……」
頭の中に、再度先ほどの碑文を巡らせる。
内容は12神の成り立ちで、実際の時間の流れに沿って記載されていた。
末神キトが領主となったとあるので、作られた年代は800年ほど昔。キトが領主となり、その後カナンを建国するまでのおよそ30年の間であろう。
美神ビナーや堕天フォルテスの本来の姿についてはフィオリナも初めて目にするもので、それなりに興味深いものではある。
だが何よりも引っかかったのは……
「破壊神ググ…他の神々は全て実在のモデルがいるのに、彼だけはそれがありませんね」
「……そう。教科書や叙事詩に出てくる言葉ならそれほど違和感はないんだけどね。これだけしっかりと史実に基づいて書かれたものだと、かなり違和感がある」
2人の間に沈黙が流れる。
フィオリナは拳を口の前に作る格好でしばらく黙考すると、やがて考えがまとまったのか、その口を開く。
「私…実は前々から疑問に思っていました。ググはなぜ破壊神でありながら堕天ではなく12神にあるのか。終末信仰の仇神を取り入れたものとは言われてますけど、それなら本来堕天とされるべきですし、いかに主神ゼクスと等しい力を持とうとも、12神であるべきではありません」
「裏切りの象徴……。12神は人間の信仰の象徴であり、深層心理を模したもの。だから負の感情も取り入れる必要があった。そう提唱する神学者もいるけどね。……さて。君なら、どう解釈する?」
「まだ、いない…いいえ、それだとやっぱり12神に加えられる理由がないもの。となるとかつて12神に相応しい力を持った人物がいて…その人が将来において堕天することを誓った……?」
「なるほど。僕は単に予言の子だと思っていたけれど、確かにそれだと当時において12神として加えられる理由がないね」
「あと気になったのが」
「うん?」
「主にロアナ帝政時代の王侯貴族や各地の有力者が挙げられているようですけれど、この中にオグル族の高名な占い師の名がありません」
「ああ…かつてあった東方の遊牧民族の占い師にして指導者、のことだね。その座には代々最も魔力の強い者がなるしきたりがあった。確かに12神として数えられるには充分な力を持っていただろうね。でも、帝政期の有力者は他にもいるよ。別になくても不自然じゃない」
そう答えるリチャードに、フィオリナが続けて言う。
「彼らの言葉で占い師を呼ぶ言葉はグルジといいます。ロアナ風の読み方をすればグゥグ。遊牧民族らは文明に飲み込まれて自然消滅したと言われていますけど、もしその当時のグルジが12神ググとして加えられていたとしたら? そしてそのグルジが、消滅した自らの民族を憂いて、将来において復讐を誓っていたとしたら? もちろん、フォルテスのような『結果』がなければ堕天とはできませんし、そのグルジが周囲の信頼を集めていたのならなおのこと……」
「なまじ堕天としてしまえば彼らの不満を募らせてしまう。だから予言の言葉は残されながらも、時と共にその本来の意味は忘れられて行った…か。たしかにそれならつじつまは合うね」
「結局のところ、憶測の域は出ませんけど」
「いや、君をここに連れてきたのは正解だったよ」
リチャードがフィオリナに微笑む。
その顔色は、先ほどより幾分かは良くなっているようだった。
「それでリックくんは、誕生…あるいは復活したググがこの間の魔剣の封印を破ったその人だと思ってらっしゃるんですか?」
「……うん、実はそう。あの結界はね、現代の宮廷魔導師なら最低12人はいないと破れないものだったそうだよ。単なるチンピラの仕業じゃない。……それにね、ググは『堕天した神々を率いて』…だよね。この間のノーラさんの例がフォルテスの復活だとしたら、剣を持ち去らなかった理由も説明がつくし。でも最初に手に取ったのがノーラさんだったから良かったものの、これが上級の魔法使いか腕利きの剣士だったらと思うとぞっとするよ」
『貴様ならば、我の力を存分に扱える』
フォルテスの魔剣に言われた言葉を思い出して、リチャードは寒気を覚える。
自分にはまだそれほどの力があるとは思っていないが、それでもまだ12歳の少女で、魔力も体力も平均より劣るノーラでさえあれだけの強さを誇っていたのだ。
あの言葉に従って魔剣を手にしていたならば、恐らくは今ごろ悲惨な結果を見ていたことだろう。
「そうなると…次に狙われるのはゼファーの魔石とグリゲルの魔本……」
「だと、僕は思ってる。魔石は魔剣より遅れること100年、当時最強の4人の賢者が神学校のどこかに封印したと言われている。魔本は200年前に城の宝物庫から盗まれて以来行方不明。……とりあえずは魔本の捜索と保護を上にはお願いしてあるよ」
「そうですか…でも見つかって封印できたとしても、また破られてしまう可能性もありますね」
「そうならないように…しなくちゃいけないんだ」
「……そうですね」
長い時間薄着で地下書庫にいたせいで、体が冷えてきた。
あるいは、恐怖心がそう感じさせたのかもしれないが、これ以上この場に長居は無用だった。
「それじゃそろそろ戻ろうか。避暑にしては冷えすぎた」
「あ、ちょっと待ってください」
「ん?」
「本、貸してくださる約束でしたよね」
にっこりと微笑むフィオリナに、リチャードは苦笑するしかなかった。
「ノーラちゃん、そっちはどう?」
「こっちにもいないです」
「かくれんぼ? 鬼はホアンさん?」
「違うよ。リックとフィーがどこにも…って、あああ!」
あれほど探しても見つからなかった顔が向こうからやってきて、ついつい大声を張り上げてしまうエレノア。
その声につられて、部屋の中を探していた赤毛の少女がひょっこりと顔を出す。
「怒鳴らない。それに、指をささない」
「図書室があるんですか?」
ひょこひょこと駆け寄ってきたノーラが、リチャードの隣の本の山を見てそう言う。
よくよく見ると、その本の山には足がついていた。
「……フィー? じゃあ2人で地下書庫に行ってたんだ」
「リックくんに地下書庫のことを教えて頂いて、お願いしてちょっと見に行ってたの。すごく良い本がたくさんあるので、つい欲張っちゃって」
本の山が言う。
「はあ…いい本、ね」
地下書庫にはエレノアも以前1度入ったことがあったが、正直どれもこれもぼろっちいだけの同じ本に見えた。
当然、どれがいい本かどうかなどまるで分からない。
「お嬢様も見習って欲しいものですな」
「ひいぃっ!?」
いつから後ろに立っていたのか、ホアンがもの凄い目つきでエレノアを睨んでいる。
普段からあまり足音を立てない人物ということに加えて、今は魔力を隠しているからなおのことタチが悪い。
「まあまあホアンさん、今日くらいは大目に見てあげてください。それでレナ、僕たちを探していたって?」
リチャードが先に本を置いてくるようにフィオリナに促すと、エレノアにそう尋ねた。
「ああ、うん。ノーラちゃんがね、強すぎるの」
「えーと…ごめん、もっと分かりやすく」
「2人でチェスをしてたんだけど、ノーラちゃん、初めてなのにすっごく強くって……。で、ちょっとリックとやってみてもらおうかなって」
「僕だってそんなに上手い方じゃないけどね。うん、でもレナよりは強いよ」
「あ、ひどーい」
「ひどいって…敵陣地に入ったポーンもプロモーションさせてもらえず、待ったもレナの使い放題。それで五分の勝負をしてるんだから、それくらい言ってもいいと思うけど?」
理路整然と事実を述べるリチャード。そこへノーラが更に追い討ちをかける。
「あは。待ったは私も良く使われました」
「どうやら君とはいい勝負ができそうだね」
「むー……」
結局チェスの勝負は、長丁場の末リチャードが制した。
あまり強くないと言っていたリチャードだが、それでも幼少の頃より慣れ親しんでいた分はあるはずだ。
父親では強すぎて、エレノアでは弱すぎると言うリチャードは、そんな思いがけない好敵手に満足している風だった。
ノーラは普段あまり何をやっても目立たない方だったが、人間思いがけない才能があるものである。
一方フィオリナはというと、その後もずっと部屋にこもりきりだった。
なんでも先ほど持ち出してきた本を今夜中に読んでしまって、借りていくのはまた別の本にするのだという。
きっと夏休みの間中ここに居ていいと彼女に言ったならば、地下書庫の本は読み尽くされてしまうに違いない。
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その夜、フィオリナは1人だけで再び地下書庫を訪れていた。
そして石版の前に立つと、魔力の炎で灯りを作る。
『名高き3人の賢者、闇のリリス、時空のヤヌス、光のガウス。彼ら、神話の主柱三神の権化として称えられん』
『ロアナ帝国3代皇帝ゼクス。他国を制し、新たな神話を纏める。三神の主柱クロクスを廃し、自らを新たな主神とする』
『猛き猛将ヴァーム。ゼクスの片腕としてその名を世界に轟かせん』
『ゼクスの寵愛を受けし琴の名手ビナー。美しきその乙女が宦官であったとは、誰が想像したであろうか』
『フィオニアの巫女ヤーエンリーネ。ゼクスが定めし最後の神、海神マリスその人として迎えらるる』
『セルト族の祭司バルドー。あらゆる知識に長け、ロアナ皇帝の相談役となる』
『100年を生き、魔法と人語を操るウロボロスのティヌス。ゴドンゴの神として永遠に称えられん』
『やがて現れる破壊の神ググ。神々を滅ぼし、世界を滅ぼす』
『ロアナ帝国8代女帝フォルティーナ。自らを神格化し、男帝として世を統治するが、後に乱心しその座を失う』
『フォルティーナの双子の弟ピアヌス。乱心した姉に反旗を揚げ、9代皇帝となる』
『実在のエルフと呼ばれる森の人フォント。放浪の賢者ラナローの娘とも言われるが、定かではない』
『牧羊家の少年キト。不毛の土地を開拓し、領主となった』
『これらをもって、尊き十二の神々とす』
「破壊の神ググ。神々を滅ぼし…世界を滅ぼす」
噛み締めるようにそう呟くと魔力の炎をランプに持ち替え、次に読むための本を選びにかかった。