第03話
闇の中の駆引
「……ふん」
バンダナを頭に巻いた少年は、渡された文書に一通り目を通すと一旦視線を目の前の2人に戻した。
少年の名はディルク。クーヘンバウム領ランクルトで、レジスタンスのリーダーを務めている。
年齢は16歳と幹部メンバーの中でもまだ若い方だが、人望と実力では周囲に一目置かれている。
「最前線であるこのランクルトを陥落されれば、クーヘンバウムはカナンを諦めざるを得ない。俺たちとしても、そのための力を貸してもらえるっていうのなら願ってもない話だ。──だがな」
ディルクはサディナの直筆サイン入りの文書を左右にヒラヒラと振ると、それを机の上に置いた。
「俺たちを信用させられるだけの証拠が欲しい。こんなお上の連中じゃないと分からないようなサインなんかじゃなく、もっと分かりやすい証拠が、な」
ディルクが警戒するのも無理はない。
もし目の前の2人がクーヘンバウムの回し者だったとしたら、レジスタンスは抵抗の機会すら与えられずに駆逐されてしまうだろう。
レジスタンスのことを嗅ぎ回っていたこの2人をすんなりとここに案内したのは、万一怪しいようであれば、内部情報を知られる前にこの場で始末しようという目的があった。
ディルクは改めて目の前の少年を見やる。
均整の取れた体。訓練はそれなりに受けてきているのだろう。
大人のいないランクルトで怪しまれずに活動するために組織された少年らだけの部隊。その隊長。
その話自体、真偽のほどは分からないが、どのみち武器を持っている様子もなく、この場にいる数人の仲間でかかれば抑え込むのは難しくないだろう。
一方、その隣にいるもう1人の少年にいたっては、問題にすらならない。
もしこんなのが副隊長だなどと言い出したなら、仮に話が本当だったとしても、それこそ猫の手ほどの助けにもなりはしないだろう。
ディルクがそんなことを考えていると、その少年は結んでいたしっぽ髪を解いてみせた。
この場には不似合いな柔らかい髪が、ふわりと宙を舞う。
「要は私たちが本物だって証明できればいいんだよね」
「女……?」
少年──いや、男装したその少女は、膨らんだズボンの両脇をつまんでディルクに一礼をすると、カナンの王族らが描かれた肖像画を取り出して見せた。
「……また、当番」
雲ひとつない澄み渡る空。
いつもならぶんぶんと腕を振りながら「おはよう!」と挨拶をしてくるであろうそのブラウンの髪の少女は、自分の席に着くなり顔を机にうずめてしまった。
前回の事件からおよそ3週間。今日はエレノアらの2回目の巡回の日だ。
さすがに気休めにしかならないだろうが、少しでも不安を和らげようと、ノーラがエレノアに声をかける。
「で、でも今までだって何もなかったんだし、レナちゃんにはリチャードさんがいるし。そ、それにほら、レナちゃんには『それ』だってあるんだし」
「まぁ、ね。でも相手が本当にあれなら、『これ』だって通用しないんだよね」
「あぅ……」
エレノアが自らの左手首にあるブレスレットを見ながらため息をつく。
この事件が本当にあのゼファーの魔石の仕業なのだとしたら、これ──聖剣ことフォルテスの魔剣ではその力は通用しないことになる。
それでも護身にはなるだろうから、他の生徒らよりはずっと身の安全が保障されているわけなのだが。
「今日はフィーは?」
「うん、大丈夫だって。それに最近は、あんまり出払ってないみたい」
「そっか」
「あ、でも」
「うん?」
「代わりにリセさんが都合悪いみたい」
「ええええええ!? なんでっ!? ていうか夜中に!?」
「よ…よく分からないけど、今日は丸1日ちょっと用事があるんだって。昨晩からどこかへ行ってるみたい」
現在ノーラは、フィオリナとリセリアの3人で寮の1部屋を使っている。
以前ルームメイトだったキャロルと他2名は、3年に進級した時点で外のアパートへと出払ってしまった。
学年の異なる3人が同室というのは以前のラグナラ神学校では考えられないことなのだが、わざわざ部屋を変えるメリットもなく、以前の同学年同士で1つの部屋を共有しているというわけだ。
「もしかしたら急用か何かでザブランに帰ってるんじゃないかな?」
「じゃあ、なんとしてでも今夜はアルも連れていかないと……」
──その夜。
「アルなら今日は来れないよ?」
「アルも!?」
リチャードのその言葉に、エレノアは思わずその場に突っ伏してしまう。
エレノアのそのあまりの落胆ぶりにノーラは、なんとか元気になってもらおうと、ひとつの提案をしてみた。
「あー…そうだレナちゃん、それじゃ私と交代する? それなら3人だよ?」
言ってみた後で気づいたのだが、そうなると自分はリチャードと2人きりということになる。
特に他意はなかったのだが、それはそれで別の意味で大変そうだ。
「そ、そうだね、それならフィーも一緒だし」
「なんか引っかかる言い方だね。でもいいの? レナじゃないけど、僕と2人の方がやっぱり危険は増すよ?」
「リ、リチャードさん? まさかそんな……」
「……ノーラ?」
何か勘違いしている様子のノーラはとりあえず置いておいて。
別に自分の能力を卑下するわけではないが、やはり光魔法しか使えない上に、エレノアの持つ聖剣の力も期待できないことになる。
電気の能力を持つノーラも大して力が強いわけではなく、やはりフィオリナと一緒よりも力の偏りが大きくなってしまう。
「あ、ならさ。これ持っていって」
そしてそれに気づいたエレノアが、自分の左手首から聖剣を取り外し、リチャードに手渡す。
「お守り」
事情を知らないルカの目を気にしてそう言う。
しかしリチャードはすぐには受け取ろうとせず、数瞬、躊躇する素振りを見せた。
確かにこれを受け取れば力の偏りは解消されるだろうが、それだけ護衛対象であるエレノアの身を危険に晒すことになる。
決してフィオリナを信用していないわけではなかったが、それでも万が一という時に聖剣の力は大きい。
「私たちなら大丈夫ですから」
そんなリチャードの心を見透かすかのように、にっこりと微笑むフィオリナ。
それでもまだ戸惑いはあったものの、リチャードは実に久し振りに聖剣をその手に取った。
『およそ1年ぶりだな』
(ずっと預けっ放しだったもんね。今まで、セシリーを助けてくれてありがとう)
『悪くはなかった。なかなかに面白い娘だ』
「え……」
感情を持たないはずの聖剣の意外な言葉に、リチャードが違和感を覚える。
「リチャードさん、どうかしたの?」
「え? ……ああ、いや。何でもないよ」
「それじゃあ行きましょうか。レナ、ルカくん、私から離れないで」
「あ、うん。じゃね、リック」
「……さっきまでのが嘘みたいに元気そうだね」
どこか理不尽なものを感じずにいられないその様子に若干思う所があったものの、まあ結果としてこれで良かったのかもしれないと思っておくことにした。
「じゃあ僕たちも行こっか」
「はい♪」
およそ3時間ほど歩いただろうか。だとすれば時刻は午前1時過ぎ。
さすがに人通りもなくなり、出るならいよいよといった所だ。
神学校生の担当は午前2時まで。いささか早すぎるとも思えるが、まだ年端も行かない子供たちに回らせるにはこれが限度だ。
「疲れた?」
「ちょっと。でも、そんなこと言ってられないから。ごめんなさい、足手まといで」
「全然そんなことないよ。それに、レナの方がよっぽど大変だったんだから」
「あ、あはは……」
「フィーさんたちに迷惑かけてなきゃいいけど」
リチャードの冗談には聞こえないその言葉に、悪いとは思いつつノーラが思わず苦笑する。
──と。
「止まって」
「え、なに…あっ!?」
視線の先に、闇の中に光る双眸があった。
目の高さは大体腿の高さくらい。犯人像に一致する。
「誰だ」
そう言い放ち、周囲に光を展開するリチャード。
しかしその瞬間、相手からも魔力が放たれ、その光は一瞬にして先ほどよりも濃い闇に閉ざされてしまった。
「な──!?」
「そこにいるのはウィルフレイのか。久しいな」
闇の中から、少女の声が聴こえてくる。
それは、この恐ろしいほど濃い魔力の持ち主には似つかわしくない、綺麗な声音だった。
しかも先ほどまではその魔力が一切感じられなかった。
魔力量だけでなく、魔力を隠す技術の高さからいっても、宮廷魔導師と同等かそれ以上の使い手であることは間違いないだろう。
しかしウィルフレイとは、一体誰のことを言っているのか。
そう思っていると、リチャードの意思とは無関係にその口が言葉を紡ぎだした。
「少し声を借りるぞ。まだ残っているものがいたとはな。その内のどれかは分からんが、なるほど久しいな」
「リチャード…さん……?」
リチャードの声を借りた聖剣が、闇の中の声の主と言葉を交わす。
「しかしなるほど、これで合点が行った。貴様の活動を維持するために、魔導師から魔力を吸い上げていたというわけか」
「この国には魔力を持つものが多いから、『食料』には苦労しなくて済むな。私はお主と違って魔力しか糧にできぬから、色々と苦労する」
闇の中から、くっくと笑う声が聴こえてくる。
「それで、私をどうするね? まさかお主がそちらにつくとは思わなんだが…いずれにせよ、お主には私を破壊することはできぬよ。その2人の人間でも無理だ。それは、分かっているだろう?」
「どうかな。我がこの闇を破れば、この男にも勝機はある。貴様が考えているほど、これは未熟ではない」
「お主とは争う理由がない」
「今この地で面倒事を起こされると色々と面倒なのだ。実を言うと我は少々──ここを気に入っている。今後大人しくしているというのであれば、我もこれ以上は何も言わん。貴様が活動するくらい、自然界の魔力だけで充分のはずだろう」
自然界には、人間以外も多くの動植物が魔力を持っている。そして植物と鉱物に至っては、ほぼ全てと言っていい。
聖剣の言う自然界の魔力というのは、それらが持つ魔力のことだろう。
「国が不安定だということで、万一のためにと食いだめをしていたのだが。魔導師2人分では例え遠距離転移はできても、その後襲われれば終わりだからな。……そうだな、お主が魔力を分けてくれるのなら考えなくもない」
「我とて疲弊している。そんな余裕はない」
「リック!」
背後から声。
「レナちゃん!」
「お仲間か。……それも1人、厄介なのがいるようだ。仕方がない、今夜は引き上げるとしよう」
言葉はそこで途切れ、やがて闇も晴れていく。
周囲には依然月明かりしかなかったものの、ずっと漆黒の闇にいたせいか、それでも眩しいくらいに明るく思えた。
「どうやら、現れたみたいですね。……それも、宮廷魔導師すら凌ぐ大物が」
フィオリナが、珍しく感情を含めた声音でそう言う。
もし出会っていたのが自分たちだったら? 恐らくは敵わなかっただろう。そんな不安と恐怖が彼女の中にあった。
「来てくれて助かった…のかな。僕たちだけじゃ、例え勝てていたとしても、タダじゃ済まなかったと思う」
「で、結局何だったの? やったらでっかい魔力だったみたいだけど」
「さあね。見ての通り、ずっと暗闇の中にいたから」
言いながら、フィオリナに目でサインを送る。
「とりあえず今夜はもう出ないだろうし、僕らはここで解散だ」
「追わないの?」
「もう無理だよ。警邏隊に報告して、それで僕らの仕事は終わり。少なくとも、生徒のレベルじゃどうにもならない相手だってことは分かったしね」
それで話を打ち切ると、フィオリナ、ノーラ、ルカは寮へ。リチャードとエレノアは帰路を急いだ。
リチャードらが屋敷へ着いて20分ほどした頃、唐突にその扉が叩かれる。
既に半分眠っていたエレノアだったが、その来訪者らを見て思わずその目を見開いた。
「……フィー? ノーラちゃんも」
「いらっしゃい。君はあれだけで分かってくれるから話が早いよ。ごめん、僕らは寮に入れてもらえないから」
「構いませんよ。それで、あれの正体というのは?」
「うん、とりあえず立ち話もなんだからとりあえず中に入って」
リチャードがエスコートし、2人は部屋へと案内される。
どうやら、長い夜になりそうだ。
(やれやれ、またこの格好をするなんてね)
(姫さんが提案したことだ。問題ないだろ)
(それはそうなんだけどね。……やっぱり気分のいいものじゃないよ)
レジスタンスのアジトを少し離れたくらいの場所で、ぼろに身を包んだリセリアがそんな不満を口にする。
(でも、こんな事態になってたんだね。レナはこのことを知ってるの?)
(大体の状況は把握してるだろうが、お前を連れてきたのは俺と姫さんと女男と金髪女しか知らないことになってる)
(私が訊いているのはそんなことじゃなくて、アルがこんな危険な任務を任されているってことの方)
(わざわざ言う必要もないだろう)
(心配はかけたくない?)
エレノアの姿をしたリセリアが、意地悪く言って笑う。
(……何が言いたい)
(ふふふ…別に? あ、お迎えが来たみたいだよ)
リセリアの指さした先に、ローブを深々と被った宮廷魔導師が転移してくる。
彼は国境とランクルトの城壁を突破するための要員で、以降はアルフレドの部下たち──先日フィオリナらが国中からかき集めてきた53人の少年ら──を、毎夜少しずつ、ランクルトに送り込むことになっている。
そしてアルフレドはその転移を利用して両国間を行き来し、情報のやりとりを行う予定だ。
(これから、忙しくなるな)
(くれぐれも、無茶はしないでね? ──レナのためにも)
(……わけの分からないことを言うな)
アルフレドが宮廷魔導師に合図を出すと、3人の姿がその場からかき消える。
後に残ったのはただ漆黒の闇と、その闇に染み入る静けさだけだった。