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第07話
勝利の女神


「聖剣の力であれごと潰します!」

 防ぎきれないのであれば、先に攻撃して潰してしまうのみ。

この段階で聖剣の力を消費するのはデメリットだが、この際そんなことは言っていられない。

リチャードは聖剣を手に前線へと駆け出すが、そんな彼の前に1つの影が降り立った。

「待て」

「ティース…タルト? どうしてここに」

「話は後だ。様子は街道の上から眺めさせてもらっていた」

 それは先日、主人であるレトと共に国外へ送り出したはずの「吸血鬼」ティースタルトだった。

ローブの下をどうしているのかとにかく体格こそ大人だが、この声と口調のギャップは忘れようがない。

ティースタルトは敵のいる方に向き直って何らかの魔法を放つ様子を見せると、その凛とした声で言った。

「ここにいる熱魔導師らに告ぐ! 敵軍と幻影との間に氷壁を張れ!」

 ローブで全身を隠した、少女の声を持つ突然の闖入者。

当然その命令に従う者はおらず、ただ唯一フィオリナだけが言われた通りにした。

「……信じていいんだね?」

「早くしろ。間に合わなくなる」

「騎士団長代行補佐の名において命じる。彼女の指示に従い、熱魔法使いらは氷壁を作るんだ! 早く!」

 リチャードの指示にやっと動き出す他の魔法使いら。

熱魔法用に用意された桶の水が見る間に減ってゆき、数秒もしない内に指示通りの氷の壁が築き上げられる。

(けど、やっぱり無理だ! あの厚さじゃ簡単に破られる!!)

 不安をぬぐいきれないリチャードとは対照的に、ティースタルトはいたって冷静に、その氷壁の向こうを見つめ続けていた。

──と。

 ドオォン!!

「なっ!?」

 頑強な氷壁がびりびりと震え、それに呼応するように大気が振動する。

一体何が起こったのか、その場にいる誰ひとりとして理解できていた者はいなかった。

リチャードが敵軍の前線を魔法で確認すると、そこには大きな窪地と、吹き飛ばされた兵士らのちらばった四肢があった。

「銃というのは、銃口を完全に塞がれると暴発、つまり今見たことが起こるのだ。私が力を放って、あの大砲の内側を氷で埋めてやった」

「で、でもいくら大きいとはいえ、あんな離れた場所にあるものに、そんな正確に? しかも相手に悟られずになんて……」

「時空魔法と光魔法の組み合わせだ。それで遠くのものを近くにあるように見ることができるようになる。ついでに氷も、時空魔法で水を直接大砲内に送り込んで作り上げた。いくら奴らが魔力が見えようと湿度の変化に注意してようと、気づくのは難しいだろうて」

 簡単に言っているが、そもそもそんなことは人間業ではない。

複数の属性を持つ魔法使いというのが、現代では1人もいないのだ。

しかし聖剣なら恐らく同じことが可能だったろうが、そうしようとしなかったのは何故だろうか?

『銃に関するそれだけの知識が我にはなかった』

 ……言われれば確かにそうだ。

一方ティースタルトは人形遣いであるレトと共に各地を転々としているため、そういった情報には困らないのだろう。

「とにかく、敵が態勢を整えるまではまだしばらく間がある。魔法使いは一旦エネルギーの補充をしておくように」

 リチャードの指示で魔力補充用の砂糖水を口に含む魔法使いら。

リチャード自身もそうしながら、氷壁の向こうを魔法で確認する。

「こちらが氷壁を張れるのは向こうも想定内だろうけど、大砲が通用しないと破壊は難しいだろうね。できればこのまま退いてくれればいいんだけど」

「いや、むしろすぐに破られる。気を抜くな」

「え……」

 リチャードの視界の先、敵軍の中から無数の黒い塊が飛んでくるのが目に入った。

それらのいくつかはティースタルトの運動魔法で敵陣へと返っていくが、その他の多くは綺麗な弧を描き、そして氷壁の目の前で先ほどのものを超える爆発が次々と起こる。

「うわあぁ!!」
「なんだ!?」

「奮発したな。奴らは修復の間すら与えないつもりのようだ。銃が通用しないと分かった以上、この後奴らは特攻を仕掛けてくるだろうて。手は?」

「考えてある。運動魔法使いは人形を撤退。光魔法使いはその抜けた穴を幻影で補うんだ!」

「了解しました!」
「はっ!」

 リチャードの指示に従う魔法使いたち。

そうこうしている間にも氷壁は破られ、武器を槍に持ち替えた敵勢が津波のように襲いかかってきた。

「まだ…まだだ…もっと引きつけて……今だ! 沼を溶かせ!」

 リチャードの合図で一斉に熱魔法を放つ魔法使いら。

直後、敵勢の足が一気に鈍る。

「な…沼だと!?」

「馬鹿な! どうして気づけなかっ…ぐぼっ!?」

 勢いを殺しきれずに、次々と沼地にはまっていく敵兵ら。

これは幻影の兵士らがいる場所を先頭にして予め作っておいたもので、凍らせた上で盛り土をしておいたものだ。

これだけなら恐らくは気づかれていたに違いないが、人形の盾と同じからくりで、幻がそれをカモフラージュしていたというわけだ。

そしてその面白いようにはまるノーラの作戦に、リチャードとフィオリナが互いに顔を見合わせて満足そうに頷いた。

「凍らせろ!」

 充分にはまった所で、沼を再凍結させる。

そしてリチャードは指示を出すと同時に前方に駆け出し、聖剣を構える。

「行くぞ!」

『承知した』

「はあぁっ!!」

 正面に振り下ろされた聖剣から、力が解放される。

魔力を持つ者ですらそれが何なのか分からない、それでいて単純な白い力の塊が、一条の光となって敵兵をなぎ倒していく。

以前、ザンソアにも放ったものだが、その威力は桁違いだ。

話に聞いてはいたが、まさかこれほどとは誰が想像しただろう?

『連中は我の余力がこの1回きりだと知っているはずだ。再び衝突する前に、可能な限り我の力を回復させるのだ』

「分かってる」

 リチャードの足元には再凍結された沼。

そこで凍り付いている敵兵たちが、見る見るうちに干からびていった。

聖剣が生気を吸い取っているのだ。

「なるほどね、君が聖剣とか魔剣とか色々に呼ばれる理由が分かったよ」

 「堕天神」ティースタルトもそうだが、味方でありながら恐ろしいその聖剣の力に、薄ら寒いものを感じるリチャード。

一方その視界の先では、その力を目の当たりにしてなおひるむことなく、進攻を再開している敵影があった。







「撃ち殺せ」

 マルクスの手が振り下ろされるのと同時に、構えられる数十の銃口。

死の感覚というのはこういうものなのだろう。やけにその動作が遅く感じられた。

(なんとかこいつだけは……!!)

 エレノアの身を庇いにかかるアルフレド。

しかしその瞬間、足元の床が崩れ落ちた。直後、頭上で鳴り響く破裂音。

アルフレドを始めとして、自分の身に何が起こったのか誰も理解できないでいた。

たった1人を除いては。

「手荒でごめん! みんな走れる?」

「……お前がやったのか」

 それは、エレノアの運動魔法によるものだった。

しかし状況はあまり良くなく、持っていた武器で重傷を負ってしまった者らも何名かいた。ディルクも、その1人だ。

「……自分たちに構わず。この場はお逃げください」

「で、でも……」

「この人数を抱えて走るのは無理だ! 言う通りにするぞ」

 アルフレドはエレノアの体を抱えると、動ける者らを率いてその場を後にする。

そのすぐ後に、開いた穴からクーヘンバウムの兵士らが顔を覗かせた。

「ディルク…俺、死にたくねぇよ……」

「情けないこと言うな。俺たちは…勇敢な戦士だろう?」

 落ち着いた声で言うと、持っていた火薬樽の導線に火を点ける。

(あばよ、アルフレド。そして、セシリア様……)

 兵士らが一斉に銃を放つのとほぼ同時に、ディルクがその樽をお返しとばかりに投げつける。

逃げる間すら与えられなかった兵士らは、為すすべなくその爆発に巻き込まれた。

「ディルク!?」

「あいつ……」

 かなり距離は取ったはずだ。

しかしそれでも襲いかかる熱風に顔をしかめながら、見捨てた戦友らのいた方を見やる。

「離して…離してよ……っ!! この……っ!」

「待てこの、馬鹿!!」

 エレノアは魔法でアルフレドの拘束を振り切ると、今来た通路を戻る。

アルフレドもそのすぐ後を追い、他の仲間らもそれに従った。

「引き返せ! せめて煙が収まってから…げほっ! これじゃ何も見えねぇ!」

「ディルク…みんな……きゃうっ!?」

 エレノアが何かにつまづき、その場に転げる。

その手の中に、ぐにゃりとした感覚。

形はまるで残っていないが…それは恐らく、人の胴体だった。

「ひっ!?」

「セシリア殿下、ですな?」

(しまっ──!)

 声を目印にしてきたのだろう、エレノアの後ろには銃を持ったマルクスと、更に数人の兵士らが取り囲んでいた。

次第に煙が晴れ、その姿が確認できるようになる。

「お互い、生き残ったのはこれだけのようだ。どうやら先ほどのはこの小娘の手際だろう。だがもう同じ手は通用しないぞ。今度こそ死んでもらう」

 エレノアの後頭部に、銃口が押し当てられる。

「隊長、このままじゃ全滅だ。ここはお姫様を犠牲にしてでも」
「そんなことができるか馬鹿野郎っ!」

「アル……」

「おっと、我々の足元を落とそうとしても無駄だ。そんな素振りを見せれば先に貴殿の脳天に風穴が開くことになるぞ。逃げようとしても同じだ。 ──撃て!」

 兵士らの銃がアルフレドたちを狙う。

今度こそ逃げられない──!

「うああああああああああああああああっ!!」

「な──」

 咆哮と共に一気に解放されるエレノアの力。

体外に力を放出するのは苦手なエレノアだったが、今はそんなことを言っている場合ではない。とにかくありったけの力を解放することだけに意識を集中した。

兵士らは何が起きたのかも分からないままに滅茶苦茶に宙を舞い、そして次々と壁に叩きつけられていく。

「く、そ…バケモノめ……!」

 マルクスがくぐもった声でうめき、改めてエレノアに狙いを定める。

一方エレノアはというと、力の使いすぎで動けないでいた。

(まずい…逃げないと……)

「死ねぇっ!!」

 エレノアの背中に向けて容赦なく放たれる凶弾。

破裂音の直後、赤い鮮血がその場に飛び散る。

「ア…ル……?」

「──っ!」

 槍を杖にして、膝立ちでエレノアとマルクスの間に立ちふさがるアルフレド。

その脇を仲間たちが駆け抜けて行き、まだ立ち直れないでいる敵兵らを次々と仕留めていく。

そしてその全てを見届けたアルフレドは、満足そうな顔でその場に倒れ込んだ。

「隊長!」

「……大丈夫、だ。それよりっ…すぐにB班と合流、しろ。武器を運び出して…守りを……っ」

「あ、ああ…分かった」

 2人が心配ではあったが、とりあえず言われた通りに行動に移る部下たち。

一方のアルフレドはそれを見送る余裕もなく、脂汗をかいた顔で、ただ抜けた天井を見つめていた。

「アル、ごめん……」

「あいつを、仕留め…ようとしてっ…たまたま、軌道上に…入っちまっただけ…だ。別に、お前を…庇ったわけじゃ…ない」

 こんな状況でも強がりを言うアルフレドに、エレノアは苦笑いを漏らす。

しかしそんなアルフレドの顔から、見る間に生気が失われていっているのが分かった。

「急所は、外れてる。寝てれば…治る」

「もう喋らないで。ああ…魔剣がいればこんな傷、すぐに治せるのに。とりあえず、弾を抜いて止血だけでもしておくね」

 言って、アルフレドの傷口に手を添える。

「馬鹿…っ! 立てねぇくらいに消耗…っしてるくせに!」
「黙ってて!」

 エレノアは力を集中すると、傷口から鉛の弾を抜き取る。

そして自分の服を破ると、それを包帯にして傷口をきつく縛っておいた。

「終わり……」

 そこでエレノアの意識は途切れ、アルフレドの脇に倒れ込んでしまう。

心臓を氷の手で掴まれたような感覚に襲われたアルフレドだったが、彼女が寝息を立てているのを確認すると、まずは一安心した。

(あとは近くに敵兵が残ってなけりゃいいんだがな。……まあ、見つかっても死体に見えるか)

 アルフレドもそこで意識を閉じ、体を休めるためにしばしの眠りについた。







「なかなか苦戦しているようだな」

 街道の反対側、ザブランとランクルトの国境付近にあたるその場所で、クーヘンバウム軍の司令官がひとりごちる。

「ですが時間の問題でしょう。先の光は恐らく件の聖剣。最初から使わなかったことから推測しても、やはり一度きりのものの様子。手数は尽きていると考えて良いでしょう。後は数で押してしまえば、恐らく半刻ともちますまい」

「だと、良いのだがな」

 今までにやられた手勢はおよそ2万強。

苦戦するとは思っていたが、せいぜい1万程度の損失で勝てると踏んでいた。

前衛にいるのは外人傭兵や捕虜、罪人が主だったとはいえ、そろそろ自国の兵にも被害が及んでくる頃だ。これ以上長引けば、国力の低下にも繋がる。

しかしカナンがほぼ無傷のままの今撤退すれば、それこそこちらの痛手となる。よって、選択肢は1つ。進軍あるのみだ。

「ご報告申し上げます!」

「何だ」

 1人の兵士が息をきらして報告に現れる。

また前衛で何かあったのか。いや、それにしては少々様子が異なるようだ。

「ザブラン…ザブラン軍が我々を包囲する形で接近してきています!」

「現れたか」

 これは計算の範疇だ。

ザブランにとって最も良い選択肢は、クーヘンバウムがカナンを占拠するかしないかのタイミングで現れ、疲弊した所を叩くこと。

聖剣のこともあるが、それを防ぐためにわざわざ10万などという大軍を持ってきたのだ。

「数は。やはり3万か?」

「いえそれが…恐らく5万はいるかと」

「なに!?」

 事前に入手していた情報と異なるその数に、司令官の背筋に冷たいものが走る。

「馬鹿な! ザブランが国内の全戦力をここで投じてきたというのか? 一体どういうことだ!」

「わ、分かりません」

 街道内でカナンと交戦している兵が1万弱。残る7万の兵が今ザブランと相対している。

5万対7万。勝てない相手でもないが、その代わりにクーヘンバウムは国力のほとんどを失うだろう。

そうなってしまえば、たちまち近隣諸国の餌食だ。

「くそっ…退却だ! カナン攻略は諦める!」

 司令官の命令で、退却の角笛が周囲に響き渡る。

その音はカナン側のリチャードらの耳にも届き、それを聴いた一同の顔には安堵の笑みが浮かんだ。







「クーヘンバウム軍が退却を始めた模様です」

 慌てふためくその姿を眺めながら、部下からの報告を聞く壮年の男性。

その体躯はやや衰えている所もあったが、まだまだ戦場での勘は忘れていない。

「退路を断たない程度に追い立てろ。連中は動きながらでは銃は使えん。矢を射掛けてできるだけ数を減らすのだ!」

「おおーーーっ!!」

 2人1組で担いでいた見せかけだけの鎧武者を一旦置き、ザブランの兵士らが一斉に弓を引き絞る。

まずは5万以下にまで減らすことができれば、それからこのカラクリを見破られても問題はないだろう。

「しかしよろしかったのですか? 当初の予定では、クーヘンバウム軍が完全にカナン国内に足を踏み入れた時点で追撃することになっていたはずですが」

「カナンがあとどれだけ頑張ってくれたかは分からぬが、今いる3万では、連中と正面衝突しても勝てる見込みは少ない。それよりもここで追い立てて、数を減らした方が得だろう。当面の脅威はクーヘンバウムだ。カナンではない」

「それはそうですが……」

 それらしい理由を並べてはみたものの、やはり自分でもどうかしていると思う。

しかしランクルトにいるアルフレドが上手い具合にやってくれているのなら、これが一番良い方法なのは確かだ。

だがそれが失敗していれば……

(家名剥奪、くらいは覚悟しておかねばな)

 男はそう思いながらため息をつくが、その表情は実に清々しかった。


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