ちいさなさくらんぼ
差し出された紙に目を落とすと、そこには「演劇部 部員募集」と書かれていた。
リストにある部は全部見て回ったつもりだった。けれど、演劇部の活動を見た覚えはない。見落としたんだろうか?
しどろもどろとするばかりで、返事が返ってくる様子はない。
この人、本当に演劇部なんだろうか? にわかには信じられなかった。
すると横の方から、別の先輩が声をかけてくる。
女の人…と思ったけれど、制服でそれは違うと分かった。中性的で、笑顔の素敵な人だった。
「 | 実は私たち、去年なくなった演劇部を復活させるために部員を集めている最中で、今の時点ではまだ部がない状態なんです。具体的な活動は部が再開してからでないと行えないので、見学はできないんですよ。ごめんなさい」 |
「 | 興味があったら、来週月曜の放課後に桂先生の所へ来てください。その時に創部の手続きを行いますから」 |
『 | うんなんじゃ駄目じゃ。内履きは白って決め付けちゃいかん。ほらどき。もっとこう、ベタベタと……分かるか?』 |
白い靴の絵が、濃い緑で上から塗り潰されていく。
他の人の絵もそう。紺や茶や…とにかく共通しているのは、どれもこれも重く暗い、何を描いたかもよく分からないような、ただのベタ塗りだった。
最初はその白い靴のように、何か別のものが描かれていたんだろう。けれど先生はそういった絵を見つけては、それをことごとく台無しにしていく。
私は絵が得意だった。だから当然、私は美術部に入るものと思っていた。
けれど頼成高校の美術部は私が想像していたものとはまるで違う、ただ先生が自分の感性を押し付けるだけの、そんな集まりだった。
ここに入ったら、私の個性は真っ黒に塗り潰されてしまう。
この部では、私の表現したいものを表に出すことができない。
自分の部屋で横になりながら、貰ってきたビラに目を落とす。
そこに描かれているイラストは幼稚なものだったけれど、それでも…なんだかとても楽しそうに見えた。
正直なところ、自分を表現できるものなら、手段は絵にこだわるつもりはなかった。
絵は得意。だから自分を表現するのに最も適したツール。それだけの話。
もちろん、絵が描ける部に越したことはないけれど、良さそうな部があれば絵はなくても構わなかったし、そのつもりでこの3日間、部活を見て回っていた。
「 | 他にいい部活もなかったし、行ってみようかな……」 |
見学や体験入部ができないのが気になったけど、みんな素人なら却って気が楽かもしれない。
それに…ビラを配っていたあの先輩も、ちょっと格好良かったし。
私はビラを置いて立ち上がると、試しにそれっぽい真似事をやってみた。
そして翌週の月曜日。
桂先生の所に集まっているのは、私を入れて3人。あの中性的な先輩の姿は見えない。
友達にも何人か声をかけてみたけれど、みんな他に入りたい部が決まっていた後で、結局誰も来てくれなかった。
しばらく待った後で、桂先生がため息交じりにそう言う。
「 | えっとあの、ビラを配っていた、女の人みたいな先輩……」 |
桂先生がアゴで示した先にいたのは、髪の毛で顔が隠れた、無愛想な男の人。
同一人物だ、と言われても、私の頭はしばらくそれを理解できないでいた。
「 | あたしも見てたけどさ、見事な変装だったよねあんた」 |
「 | な…ば…こ、これじゃまるで、詐欺じゃないですか!?」 |
どのみち、他にいいと思った部活はないんだ。
別に必ずどこかの部に入らないといけないという決まりはないから断ってもいいんだけど、それでも、やれるだけはやってみたかった。
「 | でも結局、1人しか集まらなかったんだよね。あと1人…名前だけ誰かに借りるか? ……あ、そうだ毛玉、あんた演技の才能あるみたいだし、いっそこのまま演劇部入っちまいなよ」 |
はっははと笑いながら、桂先生が毛玉先輩の肩をばんばんと叩く。
「 | ……あの、先輩って演劇部希望じゃないんですか?」 |
「 | ああ、そいつは手伝ってくれてただけで、別の部の──」 | 「 | いいですよ」 |
桂先生の言葉を遮り、毛玉先輩がそう言ってくる。
「 | 退部手続きをしてきます。その間に申請書の作成をしておいてください」 |
「 | ……私が、そうしたいんです。藤沢さんは何も気に病む必要はありません」 |
そう言い残すと、毛玉先輩は別の先生の所へ歩いていった。
その後姿を見送りながら、桂先生が頭をわしゃわしゃとかきむしる。
「 | まいったなぁ。あいつ、教師の言いつけには逆らえない性格らしいから」 |
本当にそんな理由だけで、今まで入っていた部からあっさり乗り換えられるものだろうか?
もしかしたら、毛玉先輩は藤沢先輩のことが好きなのかもしれない。
「 | まぁね。とはいえ…もう言っても聞かなそうだし、あたしらもやるしかない、か」 |
そう言うと桂先生は同好会設立の申請書を取り出し、そこに私たちの名前を書くよう指示する。
「 | ……正直言うとね、あたしだって嬉しいんだ。廃部になった時は、そりゃあ悔しかったし、いつか絶対復活させるんだ…って思ってた。……演劇はね、あたしの昔の夢でもあったから」 |
そう呟く桂先生の目は、どこか遠い所を見ていた。
「 | 物語がさ、あたしらの手で命を吹き込まれるんだ。あたしらにしかできない解釈、あたしらにしかできない表現。そうやって、生きた舞台が形作られるんだ」 |
「 | そ。役になりきるのも大事だけど、その上でさ、自己を主張するのも大事だとあたしは思ってる。でないと、役は生きてこないからね。ただのロボットだ」 |
1つ2つ、不安もあるけれど、この部を選んで良かった。
理由は分からないけど、なんとなくそう思えた。