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でくと仕立て屋

郷田ー、この後カラオケ行くんだけどお前も来るかー?」
ああ、いや。僕は」
なんだまたかよ。たまには付き合えよなー」
はは」
 高校に入って10日あまり。そろそろグループも固まりつつあり、僕にもよく話す相手くらいはそれなりにいた。
けれど放課後の誘いに乗れないのには、ある理由があった。
毛玉ー、これで全部かい?」
いえ、あと2箱」
そっか、結構あるもんだね」
 ゴミを集積所に持ってきたところで、大量のガラクタをビニールシートの上に並べている先生の姿が目に入った。
その光景はさながら、フリーマーケットのようだった。
あの、これは?」
ああ、演劇部の大道具や小道具さ。うち、半年間活動してなくてね。ほとんどダメになっちまった。使えそうなのを選り分けて使うつもりでいるけど、どれも厳しいね」
そうでしょうか」
 僕はそこに並べられたいくつかの小物を手に取って品定めする。
手入れや補修次第で使えそうなものも多いですよ。調度し直した方が安くつく物もあると思いますけど…無事な部分を継ぎ合わせて…例えばこれとこれですとか」
へぇ…あんた名前は?」
郷田です。土木科1年」
あたしは桂塔子。演劇部顧問だ。よし角田、選別に付き合ってもらうよ」
え…いや、あの……」
じゃあ残りの箱の中身空けてくから、使えるのとそうでないのを分けてってよ」
 名前の間違いを指摘するべきか、それとも断るのが先か。そんなことを迷っている間に結局どちらも言い出せず、そのまま手伝うことになる。
強引…いや、マイペースな人だな。僕はそう思った。
ところであんた、演劇部に入るつもりはないかい?」
演劇部…ですか」
まあ、考えといてくれるだけでいいからさ」
はあ」


ただいま帰りました」
遅かったの」
 家に帰るなり、親父にギロリと睨まれる。
先生に急な用事を言い付かりまして」
まあええわ、早う支度してきぃ」
はい」
 僕の親父は昔気質の大工職人で、その1人息子の僕は幼い頃から大工の修行を受けている。
頼成も、土木科がある最寄の高校だからという理由で親父が決めたものだ。
ただ、最寄と言っても30分に1本しか電車がないので、1本乗り過ごすとその分修行の時間が大幅に削られることになり、それを親父は嫌っていた。
 大工の仕事は嫌いではない。親父の跡目を継ぐことも、そういうものなのだと受け止めている。
けれど僕にも色々とやりたいことはあるし、そのための時間が欲しいとも思っていた。
演劇部、か)
 演劇自体には興味はない。
けれどここなら僕のやりたいこともあるし、言いようによっては親父を説得することもできるかもしれない。
師匠」
なんね」
 僕は意を決して、親父に話を切り出してみた。
部活動に入りたいのですが」
必要なか」
 即答だったが、これは予測していたことだ。
いきなり怒り出されなかっただけ良い。今日はまだ機嫌がいい方だ。
僕は家でもこうして親父の仕事を手伝ってはいますが、現場での経験はありません。ですからそれを補うには、丁度良いと思いまして」
なんね、建築部でもあるんけ」
いえ、演劇部です。演劇部はまだできたばかりで、人手も機材もほとんどないそうです。演劇には小物やセットが必要になりますから、僕が入れば設計から作製まで、それらを一手に担うことになるでしょう。これは、いい経験になると思うんです」
無駄な時間の多か」
それは…そうかもしれませんが、でも、師匠だっていつもこの時間に家にいるわけではないですし、それなら──」
この話はもう終いじゃ、阿呆が」
いいじゃありませんか」
 そこへ助け舟を出してくれたのは、いつもは親父に意見1つしないお袋だった。
お袋は親父の前に正座すると真っ直ぐに親父を見据え、毅然とした態度で言う。
それでしたら、学校自体が無駄なものではありませんか」
俺ぁ技術屋だ。ハイカラな建築学なんぞ分かりゃせん。学校ではそれだけ勉強しとりゃええ。他はいらん」
そして、あなたのような大人になるんですか。仕事以外では話す相手もいない、そんな大人に」
男はそれでええ。お前は口を出すな」
ですが──」
うるさい!」
 親父の投げたカンナがお袋の頭に当たり、赤い血の筋が頬を伝う。
しかしお袋は表情1つ変えることなく、更に言葉を続ける。
──ですがそれではこの先を生きていけません。土建屋をするにしても、今の世の中ではあなたのように個人では仕事を取ることもできないでしょう。そして会社に入れば、人付き合いは仕事の能力よりも重要になってきます。いい大工にというのであれば、人付き合いも満足にできてこそではないですか」
黙れっちゅうとるんじゃ!」
 親父が立ち上がって、お袋の首を右手で締め上げる。
さすがにこれ以上はまずいと思い止めようとするが、それよりも早く親父がお袋の体を叩きつけるように床に放り捨てた。
……ふん!」
 やりかけの作業もそのままに、ズカズカと自室へと退がっていく親父。
僕はお袋の傍に駆け寄ると、壊れ物でも触るようにその体を抱き起こす。
……すみません、僕のせいで」
謝らないでちょうだい。猛は間違ったことはしてないんだから」
しかし……」
安心しなさい。あの人は今夜憂さ晴らしに飲みに行くでしょうから、その時に女将さんが私たちの味方をしてくれればコロリと意見を変えるわ。大丈夫、どんなに話を婉曲したって、高校生が部活に入りたいっていうのを誰もおかしいだなんて思わないし、あそこの女将さんはうちの人のこともよく分かってるから」
 それは確かに、これまでにも何度も見てきたことだった。
話を聞く限り、居酒屋の女将さんは僕たちと同じことしか言っていない。けれど父は「さすがママさんは言うことが違う」とコロリと態度を変え、当初自分が反対していたことすらも完全に忘れてしまう。
そのおかげで、この家の危機的状況を何度乗り切れてこれたか分からない。
──でも今回の件は、果たしてそこまでする価値のあるものだったろうか?
やりたいこと、あるんでしょう?」
それは……」
久瀬さんから、よく話を聞いてるわよ」
…………」
がんばりなさい」
……ありがとう…ございます」


 その後はお袋の読み通りの展開となり、親父も僕の演劇部入部を認めてくれた。
桂先生はホクホク顔で僕を迎え入れてくれ、こちらの提示した条件もすんなり呑んでもらえた。
というわけで、今日から一緒に活動する角田だ。毛玉は会ってるな」
郷田猛です、よろしくお願いします」
 最初は単に名前を間違えられているだけかと思っていたけれど、こういうアダ名をつける先生なのだと後で分かった。
多分僕の名前が「さとだ」なのと、髪型が角刈りだからなのだろう。
角田には舞台装置や、小物や衣装なんかの製作を主に担当してもらう。もちろん、舞台の上にも上がってもらうけどね」
えっ、衣装…って、縫い物できるの?」
ああ…ええ、まあ」
 ──そう。
いいなぁ。私、デザイン画は描けるけど、作るのは全然ダメだから」
ああ、ではそっちはお願いします。僕はアタリ程度のものしか描けませんから」
ほんと!? うん、任されたよ」
 僕は裁縫が好きだ。
だからできることなら家庭科部に入れれば良かったのだけれど、さすがにそれは認められることはないだろう。
けれどここなら、演劇部なら、衣装を作ることもできる。
同好会だから部費はなく、材料の工面が難しいだろうとは桂先生に言われている。
けれどその辺りは久瀬さん──修行の入っていない休日に裁縫を教えてもらいに行っている、近所の服飾店のおばさん──に頼めば、安い布地やハギレを譲ってもらえる。
ミシンも、旧式ながら部室にあるものがまだ動くらしいので、作業もここでできるだろう。
裁縫ができると言って笑われないかが不安だったけれど、どうやらその心配もなさそうだった。
さて、それじゃあ練習に入ろうか」
はい』
 ただ唯一の不安点といえば…そう、演劇の練習についていけるかどうか、だ。

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