第03話
幻影
「 | ……まあ、その経済効果は計り知れないって話だから、そう悪いことでもないんだろうけど…ね」 |
窓の外に見える景色を遠目に眺めながら、半年前とはまるで異なるその街並に複雑な思いを巡らせていた。
王女らが親善大使を務めたことにより、人々は解禁されたザブランの文化に飛びついた。
ザブラン側もまた惜しむことなく、大量の商品をカナンへと輸出する。
結果、カナン国内にはザブランの商品で溢れ返り、まるで小ザブランというのが相応しい様相となっていた。
「 | 心配するほどではないと思いますよ。サディナ様方はそれと分からないように振る舞っておられますし、外見だけを追った流行は、すぐに冷めていくものです」 |
「 | リチャードさんは、あの香の香りが嫌いなんだよね?」 |
ザブランから流れてきた商品の内の1つに、リラックス効果をもたらすという香があった。
それは好きな者にとっては芳香なのだが、嫌いな者にとっては単なる悪臭でしかない。
「 | 薬学科の教授のお手伝いをされてみると良いですよ」 |
フィオリナの冗談とも本気ともつかないその進言に苦笑するリチャード。
と、そこへ、1台の馬車が家の前に止まるのが窓越しに見えた。
リチャードはソファーから腰を上げると、その客人を迎えるべく玄関へと向かった。
少女は馬車から勢い良く降り立つと、大きく背伸びをしながら深呼吸をする。
目の前には見慣れた屋敷。
そしてその屋敷の扉が開いたかと思うと、その中からよく見知った少年らが顔を出した。
少女が3人に向かってぶんぶんと手を振ると、対する彼らも思い思いの言葉でそれを迎える。
世間は夏期休暇。エレノアはそれを利用して、久し振りにカナンに帰ってきたというわけだ。
「 | ん、まあね。……あれ? ノーラちゃん、背伸びた?」 |
「 | いいなぁ…あ、紹介するね。こっちはリセ。手紙に書いたよね」 |
エレノアの後ろについて馬車から降りてくるリセを、3人に紹介する。
ちなみにアルフレドも誘ったのだが、こちらは「用事がある」と言われて断られてしまった。
彼はその外見と言動からかあまり親しい友人はいないようなので、恐らくは家の用事なのかもしれない。
学院には寄宿舎があるために家には滅多に帰らないのが普通なので、長期休暇を利用しての帰省というのはごく普通にある話だ。
「 | 君のことはレナからよく聞いてるよ。僕はリチャード。あと彼女がノーラで──」 |
「 | フィオリナ・ローズフィールドです、はじめまして」 |
フィオリナがすっと握手を差し出し、リセがそれに応える。
だがその瞬間、フィオリナの顔が怪訝に曇る。
リセの顔を不思議そうに眺めるフィオリナに、リセがそう尋ねる。
「 | ……あ、いいえ。以前…どこかでお会いしたことがあるような気がして」 |
「 | なら人違いでしょう。ボクもザブランから出るのはこれが初めてだから。それに、キミみたいな美しい方にお会いしていたら、絶対に忘れないと思うよ」 |
そう言って社交辞令を返すフィオリナだったが、依然として疑問は残ったままだった。
( | こういうのって、一度考え出すと気になって仕方がないのよね……) |
「 | ……でも、街の方すごいことになっちゃってるね。みんなすごい格好だし、香の炊き方も酷いし」 |
エレノアに意外なことを言われ、ノーラがそう訊き返す。
それに対しリセが、エレノアの代わりに詳しく説明をした。
「 | 派手目を好む人が着るような服ばかりが優先して流れ込んじゃってるみたいだね。あと香にしても、向こうでは密閉された店内で控えめに炊く程度だけど、こっちは露天商がまるで競い合うようにして炊くから、あんな酷い匂いになっちゃってるんだろうね」 |
「 | とりあえず中に入って。軽く食事を摂ったら、別荘の方に移動しよう」 |
ザブランの御者は軽く一礼すると、元来た道を戻っていった。
「 | ……でも、朝から移動し通しで、ちょっと疲れちゃったな。できればここで休んでいきたいかも」 |
「 | はは。あっちに着いたら、思う存分休ませてあげるよ。ここよりもくつろげるしね。それに、夜にとっておきのイベントを用意してあるんだ。今元気になって、肝心な時に疲れててもらっちゃ困る」 |
別に言われたからというわけではないのだが、エレノアとリセは別荘に着くや否や早速眠りについてしまった。
朝から移動のし通しで、そこに昼食が入ったこともあって眠りはいとも簡単に訪れた。
その間リチャードとノーラはイベントのための下準備。
フィオリナは万一に備えて(クーヘンバウムの刺客がいないとも限らないので)屋敷に待機している。
やはりというかフィオリナは地下書庫から山のように書物を抱えては、談話室でそれらを読みふけっている。
一度は全部読んだ本なのだが、落ち着いてじっくり読んでみるとまた違った味わいがあるものだ。
──そして夜。
「 | ねぇ…そろそろ何をするのか教えて欲しいんだけど」 |
スープをすする手を一旦止め、エレノアが不満げにそう訴える。
ついさっきまで眠っていた人間が「そろそろ」も何もないものだと思うのだが、それはとりあえず言わないでおいた。
「 | そうだね。食事が終わったら行くつもりだったから、今言うのがいいかな。実はね、この近くに洞窟があってね、そこへ行こうと思うんだ」 |
「 | そう、オバ…って……? ノーラさん、今、何て?」 |
リセの言葉に、エレノアの顔がこわばったままみるみる内に青くなっていく。
「 | そういうこと。レナって昔からこういうのが苦手だよね」 |
涙目になりながらそう叫ぶエレノアに、その場にいた一同がたまらず笑い出す。
「 | 大丈夫よ。私たちも準備のために中に入っているし、そんなに深くもないから」 |
「 | じゃ、じゃあレナちゃんだけは私と一緒でいいかな?」 |
「 | こういうのは、怖いくらいじゃないと面白くないよ」 |
そうして一同は夕食を終えた後、別荘をメイドのメアリーに任せて洞窟へ移動した。
洞窟は去年釣りをしにきた湖のすぐ近くにあって、この辺りだけ空気が極端にひんやりとしている。
幽霊が出る、と言われていなくても、ここに来れば自ずとそう思ってしまう…そんな印象を受けた。
「 | 洞窟の奥には僕のサイン入りの羊皮紙が人数分置いてあるから、それを取ってくること。順番はフィーさん、僕、レナとノーラ、最後にリセ君で、5分おきに中に入るんだ。いいかい?」 |
そう言うとフィオリナはロウソクを1本取るとそれに魔法で火を点け、何のためらいもなく洞窟の中へと消えていく。
やがて5分が経過し、次はリチャードの番となる。
リチャードは1つだけ用意してあったランプでロウソクに火を灯すと、こちらもまたためらいなく洞窟へと入っていく。
「 | そんなことはないよ。でもさっきも言ったけど、こういうのは怖いくらいじゃないと面白くないよ」 |
そしてまた5分が経過し、次はエレノアとノーラの番となる。
ノーラはロウソクを手にすると、嫌がるエレノアの手を引っ張って洞窟へと入る。
「 | で、でもフィーがまだ戻ってきてないってことは、少なくとも10分以上はかかるってことだよね?」 |
エレノアのその言葉に、ノーラの足が止まる。
「 | そう言われれば…ゆっくり歩いたとしても、7分もあれば戻ってこれるはず……。だから5分にしたんだし」 |
「 | だ、大丈夫だよ。中でお話してるのかもしれないし」 |
そうこうしている内に、2人は洞窟の奥まで辿り着く。
足元には羊皮紙が…5枚。
となるとフィオリナもリチャードも、まだここには来てないということになる。
と、風もないのに突然ロウソクの炎が掻き消える。
そうして突然訪れた闇に、エレノアは半狂乱となった。
なんとかエレノアをなだめようと必死になるが、どうにも手に負えない。
それに、消えた2人のことも気がかりだ。
まさかこんなことになってしまうとは……。
ノーラの指さす先に、ぼんやりとした炎が見える。
それはゆっくりとこちらに近づいてきて……
それは、リセの持つロウソクの炎だった。
「 | 驚いたのはこっちだよ。……あれ? もしかしてここが行き止まり?」 |
エレノアとノーラが顔を見合わせ、ゆっくりと首を横に振る。
今まで冷静だったリセの顔にも、ようやっと緊張の色が見えてくる。
すると突然リセの持っていたロウソクから、先程と同じようにしてその炎が消える。
と、そこへ、彼女らの周囲に蒼白い炎がぽっぽっと姿を現す。
そして洞窟の入り口の方に向かって見える、無数の人影……。
まるで女性のように甲高い悲鳴を上げながら、リセがエレノアの肩にしがみついてくる。
その声で幾分か我に返ったエレノアは、そのリセの震える肩越しに人影を確認した。
最初はフィオリナらかと思ったが、それにしては人数が多すぎる。
ゆっくりと歩み寄ってくるその人影は、近づくにつれ次第にその姿を確認できるようになってきた。
その姿は……
エレノアは渾身の力で衝撃波を放ち、その化け物らを吹き飛ばそうとする。
しかしそれはまるで手応えがなく、化け物の髪や着衣を揺らすことさえできなかった。
ノーラは手中に稲妻を作り出すと、化け物に狙いをつけてそれを放つ。
彼女の稲妻は所詮静電気程度なので威力は最初から期待していないが、それ以前にそれらは化け物の体を空しくすり抜けていった。
「 | どうしようって…行き止まりだから逃げるわけにも──?」 |
そこまで言って、エレノアはある違和感に気づく。
彼女はもう1度火の玉と化け物を観察すると、やがて何かを確信したように魔力を集中させた。
エレノアの周囲にあった小石が一斉に浮き上がり、それらは彼女らを避けるようにして無軌道に辺りを飛び回る。
もちろんそんなものは火の玉や化け物には効果がない…はずなのだが、やがてその姿形にゆらぎが生じ始める。
背後から、声。
そしてそれと同時に、火の玉と化け物は跡形もなくその姿を消した。
その直後、今度はぼんやりとした白い光球を携えて、岩の影からリチャードとフィオリナが姿を現す。
リチャードが尋ねる。
「 | ノーラちゃんがあんまりにも冷静すぎるから。いつものノーラちゃんなら、リックが行方不明なんかになったら冷静でいられないもんね」 |
「 | ……なるほどね。これならノーラにも事情を明かさなかった方が…いや、やっぱりそれじゃ収集がつかなくなってたかな。まさかリセ君までああなっちゃうとは思わなかったよ」 |
いまだエレノアにしがみついたままだったリセが、そう言われてやっとそのことに気づいて手を離す。
その顔はこの薄暗い中でもはっきりと分かるくらいに赤かった。
「 | でも、リセのおかげで私は冷静になることができたんだよ。ありがとう」 |
「 | ……それ以上言わないで。顔から火が出そうだから」 |
そう言って両手で顔を覆うその仕草は、男の子とは思えないくらいに可愛らしかった。
「 | ──で、リックなら光魔法でこれくらいできるんじゃないかと思って。あと魔力が見えないのは、フィーが隠してるのかなぁ、って」 |
フィオリナがにっこりと微笑みかける。
「 | でもそんな所に身を隠せる場所があったんだね。さっきは全然分からなかったよ」 |
洞窟の奥の、ここからでは単に一枚壁にしか見えない岩肌を指差してそう言う。
「 | ロウソクの炎だからね。そうでなくても、ぱっと見じゃ分からないだろう? ああ、ちなみにそのロウソクだけどね、ちょっと細工がしてあって、時間が来たら消えるようになってたんだよ」 |
「 | ……まあ、言いたいことは山ほどあるけど…よくもまあ、ここまで手間をかけてまでこんな極悪なこと仕組んでくれたわね……」 |
「 | 誰がよ!? ……とにかく、後で酷い目にあわせてあげるから覚悟しておきなさい」 |
「 | でもレナ、向こうでもちゃんと魔法の練習をしていたみたいね。安心したわ」 |
このままでは収集がつかないと判断したフィオリナが、そう言って話題を変える。
「 | まあね。でもみんなの方がすごいじゃない。ノーラちゃんは放電できるようになってるし、リックも幻影なんて出せるし…フィーなんて、2人分の魔力をあれだけ長い間隠し続けるなんて……」 |
「 | そんな…普通の2年生なら放電くらいみんなできるし、威力だってもっとあるよ。私はむしろ遅れてる方」 |
「 | 僕も君らより2歳年上だからね。4年生から見ればこれくらい普通だよ」 |
「 | それでも、2年の遅れを取り戻すのは容易なことではないと思いますけど?」 |
「 | ……フィーさんなんて、20年分くらい先を行ってるじゃないか」 |
4人が魔法について語り合う中、リセはただ1人、難しい顔でエレノアの方をじっと見ていた。
そしてそれに気づいたフィオリナが、そんな彼の顔を横目で見る。
「 | さて…ここは冷えるからそろそろ外に出ようか。避暑にしては冷えすぎだ」 |
── 一方、ザブラン公国市内のデュフィ家にて。
「 | ああ、間違いない。……しかしそんなことを調べてどうするんだ?」 |
「 | まあ、ただの興味本位なら構わんが…仮にそれが実在したとして、この家にとって何の益にもならん。それは分かっているな?」 |
アルフレドは窓辺に立ち、その視線の先にあるであろうカナンをじっと見つめる。
それはただ、本当にふとした興味から調べてみたことだった。
しかしそれは今、大きな疑問となって彼にのしかかっていた。
「 | ならいいが…いつまで経っても直らんその言葉遣いを聞いていると、どうにも不安になってくる。くれぐれも、期待だけは裏切るな」 |
もうこの部屋には用はない。
アルフレドは鼻を鳴らすと、背を向けてその場を立ち去った。