第05話
偽りの君
その怒声と共に、横跳びに体をすくわれる小柄な少女。
その一瞬後に、今までいた場所を馬車が猛スピードで駆け抜けていった。
少年は血の滲む右腕を気にする様子もなく、少女にそう叫び続ける。
一見すると少年が少女をいじめているようにも見えるのだが、これがこの少年のやり方なのだと、少女はよく知っていた。
「 | 何を呑気なことを……。お前、この2週間で何度死にかけたか分かってるのか?」 |
「 | 5回だ。今こうして無事なのが不思議なくらいだ。いっそ当分外出は控えろ」 |
「 | 偶然近くにいたから、そのついでで助けてやってるだけだ」 |
偶然とは言っているが、いつも彼女の数歩後をついてきていることを、少女は知っていた。
「同じ方に用がある」と言い訳しているが、明らかに少女を心配してのことだろう。
「 | ……あいつが死んでからもう2週間経つ。忘れろとは言わんが、ちょっとは周囲にも気を遣え。あまりにも注意力が散漫すぎる」 |
少年の懸念通り、周囲の目は完全に少年が少女をいじめているようにしか映っていなかった。
なにやら少年を揶揄する声まで耳に入ってくる。
「 | ごめ…なさ……っ。思い出しちゃったら、涙が止まらなくなって……」 |
少女は言われるままに、少年の背におぶさる。
そしてその存在と暖かさを確かめるようにぎゅっと力を込めると、一言ぽつりと呟いた。
学院までの道中、2人はそれきりずっと黙ったままだった。
翌日、事件は起こった。
突然大きな機材が倒れ、少女を下敷きにしようと襲い掛かってきたのだ。
寸手のところで少女の手首のブレスレットが瞬間移動を行い事なきを得たが、そうでなければ今頃は命がなかっただろう。
そして目の前の機材を眺めながら呆然としている少女の元へ、あの少年が駆け寄ってくる。
「 | しかし…今までは学院の外ばかりだったし、単にお前の不注意からだと思っていたが…これだけ偶然も重なると、偶然とは思えなくなってくるな」 |
「 | つまりだ。お前、誰かに命を狙われてる可能性があるってことだ。それも、学院の外だけでなく、中でもだ」 |
そこへ、学院の警備に当たっている警備員らが2人に駆け寄ってくる。
それまで見学していた他の生徒らはというと、面倒なことには巻き込まれたくないのかそそくさとその場を後にした。
「 | 何だってこんなものが倒れたんだ? まったく、怪我がなくて良かったよ」 |
警備員はそう言いながら、まるでハンカチでも取り出すような自然な仕草で懐に手を入れる。
そして取り出したそれを握り締めると、少女の体目掛けて振り下ろした。
いち早く異変に気づいた少年が、肩で警備員を突き飛ばす。
その際腕に軽い怪我を負うが、そんなことを気に掛けている暇はない。
少女の体を抱き起こし、半ば抱えるようにしてその場から走り出す少年。
少女はいまだ、自分の身に何が起こったのかすら理解していない。
「 | あいつ、ナイフでお前を刺すつもりだったんだ。……見ろ!」 |
少女が後ろを振り向くと、先程の警備員が手にナイフを持った状態でこちらを追いかけているのが目に入った。
そして他の警備員らもそれを止めようとはせず、むしろ彼に同調して同様に2人を追いかけてきている。
しかし何故……?
「 | 余計なことは考えるな。とにかく今はあいつらを振り切るんだ。話はそれからだ」 |
少女は逆に少年の体を抱えるようにして掴むと、魔力を集中させて一気に加速する。
そしてそのまま突き当たりの窓を突き破ると、一気に校舎の外へと踊りだす。
少女は運動魔法で等加速度運動を無視すると、ゆっくりと地上に降り立つ。
そしてついた足で大地を蹴ると、一気に学院の屋根まで飛び移った。
少女はそう言うと、何度かの跳躍を繰り返して学院の敷地外までやってくる。
適当に身を隠せる路地に入ると、そこでやっと一息ついた。
「 | あるわけないよ。犯人どころか、狙われる理由だって──」 | 「 | 嘘をつくな!」 |
びくり、と少女の体が震える。
「 | そ…そりゃあ、言ってないことはないとは言わないよ。でも、今はそんなこと……」 |
「 | お前、エレノア・シルバーヘルムなんて名前じゃないだろう」 |
意外なことを言われ、少女──エレノアはしばらく何が起きたのか分からずに目の前の少年の顔を凝視する。
時が止まった…まるでそんな感覚すら覚えていた。
「 | 当たり、だな。俺の家は成り上がりとはいえ一応騎士だ。同業者の、しかも騎士団長まで務めてるって家のことなら調べればすぐに分かる。実は以前、変わり者のお前のことを興味本位で調べてみたことがあるんだ。そしたら、シルバーヘルム家に親戚の少女なんていなかった。俺が知ってるのはそこまでだが、恐らくはお前の正体がこの一連の事件に関係してるんじゃないかと俺は睨んでる。……違うか?」 |
「 | お前は一体何者だ? 何故命を狙われなければならない?」 |
ここまで分かっているのなら仕方がない。
エレノアは意を決したようにそれを告白した。
「 | 私は…本当の名前はセシリア・カナン・ホワイトファング。カナンの…第3王女なの」 |
「 | ……なるほどな。お忍びでこっちに留学してたってわけか。……けど、どうも納得できないな。ただのテロリストなら分かるが、なんで学院の警備員がお前を狙ってくるのか。しかも今頃になってだ。……おい、何か心当たりはないのか?」 |
「 | 私の正体を知っても、今まで通り接してくれるんだね」 |
かつてあのノーラでさえ変わってしまったことがあったため、エレノアは密かにそれを恐れていた。
だがこのアルフレドという少年は、呆れるくらいに今までと変わらなかった。
「 | 口が汚いのは誰に対してもだ。親父からも散々注意されてる。そんなことはどうでもいい。何か心当たりはないのかと訊いている」 |
「 | ん…っと、そうだね。特に変わったことはない…と思うけど……。あっ、そういえば最近、友達から手紙が返ってこないのが気になってるかな」 |
「 | あ、やっぱり関係なかったかな? えっとね、こっちからはちゃんと書いてるのに、その返事が全然来ないの。リセのことを書いた手紙の返事から来てないから…ここ2週間ほどかな」 |
「 | カナンへ行くぞ! 恐らくあっちで何か起こってて…上の連中が意図的にそれを隠してるんだ。それで、邪魔になったお前を消そうとしてるのかもしれない」 |
「 | とにかく、行けば分かる。どのみち学院には戻れないんだ。なら行くしかないだろう」 |
「 | お前を庇った以上、俺も無事では済まない。仕方ないだろう」 |
「 | いい。とにかく行くぞ。早くしないと追っ手が来る」 |
我ながら良案だと思ったのだが、それはあっさりと断られてしまった。
『 | 契約の範囲外だ。それでも力の変換ぐらいなら行うが、慣れていない貴様は無理をして枯渇するのが目に見えている。空間を飛び越えるのは、予想以上の力を消費する。普通に運動魔法を使った方がいい』 |
つまり、聖剣の力で瞬間移動をするのは駄目で、エレノアの力を使って瞬間移動をするのはいいが、それよりは普通に跳んで行った方がいいというわけだ。
まあ、今はできるだけ聖剣の力を温存しなければならない時なので、ここは大人しく従っておくことにする。
そう言って、アルフレドに背中を向ける。
アルフレドは言われた通りにおぶさろうとするが、エレノアの肩に手をかけようとした瞬間、その手が止まった。
アルフレドは首をぶんぶんと振ると、エレノアの小さい背におぶさる。
あまりに華奢な体躯に潰れてしまうんじゃないかと一瞬不安がよぎるが、すぐにそれは杞憂だと分かった。
「 | なんか心臓がすごいことになってるんだけど…もしかして、高所恐怖症?」 |
アルフレドはなるべく余計なことを考えないようにすると、振り落とされないようにしっかりと掴まる。
それを確認したエレノアは、今度はカナンを目指して再び大地を力強く蹴った。
「 | 昼飯なら食ったばかりだろう。街中とはいえ、降りるのはそれだけ危険を伴うんだぞ」 |
「 | それは分かってるけど、でも食べないと保たないから。……魔法ってね、体力と同じで食べた分の力しか出せないの。想像してみて。私がアルを背負ってカナンまで歩いたとして、行けると思う?」 |
ここからカナン市街までは、割と近いとはいえそれでも馬車で5時間ほど。
徒歩なら休憩をはさみながらで、3日といったところか。
何も荷物がない状態なら飲まず食わずでも行けないことはないだろうが、人1人抱えてとなると……
「 | しかし土地鑑のない場所で食料品店を探し回るのは、さっきも言った通りリスクが大き過ぎるな。……そうだ、お前、向こうのスラム街までは行けるか?」 |
「 | あの、ボロボロの建物の多い地区? うん、大丈夫」 |
「 | ならそこで降りろ。あそこなら俺が分かる。……俺の育った場所だからな」 |
仮にも貴族学校に通っているアルフレドがそんな所の出身だったと聞いて、エレノアが思わず訊き返す。
「 | 俺の親父は成り上がり軍人なんだ。それも、他に稼ぐアテがないから仕方なく軍人をやってたってタイプのな。それがなまじ武勲なんて上げちまって、騎士の称号まで与えられた。それ以来親父は身分にこだわるようになっちまって、俺をあの学院に編入させる始末だ。7歳の頃かな。それまでスラムで臭いメシを食ってた奴が、次の日からはお坊ちゃん学校でフルコースだ。笑えるだろう」 |
アルフレドが自分の過去を、自虐的にそう語る。
「 | 盗みもやったし、ケンカなんて毎日だ。俺はいずれ親父のような戦争屋になるつもりでいたんだ。けど、今の親父は……」 |
「 | 誰が! あんな腑抜け、ヘドが出るね! 俺はああはならない。戦って、戦って、そして最期は華々しく散っていくんだ!」 |
「 | ……死ぬために生きてるの? それって、悲しすぎるよ……」 |
以前、幼馴染の少年が、意図するところは違えど似たようなことを言っていた時期がある。
今では彼は死なないために強くなり、そして一生懸命大事な人を守ろうとしている。
それが、本当の意味で強いということではないだろうか……?
「 | ……余計なことを話し過ぎたな。……ああ、あそこの赤い屋根の家で降りろ。知り合いが住んでるから、そこでボロを借りる。さすがにこの格好じゃ目立つからな」 |
エレノアは言われた通りに着地すると、すぐにアルフレドがシーツを2枚持って戻ってくる。
少々匂いが気になったが、これでも洗濯済みのものらしい。
このスラムでは石鹸を使っているものなどまずいないらしく、大抵は水のみか、特殊な洗剤を使用して洗濯している。
アルフレドはその特殊な洗剤のことはエレノアには話さなかったが、例えば人間の尿などをそれとして用いたりする。
「 | さて…お前、いくら持ってる? 俺は300フオン持ってたが…こいつで全部取られちまった。ないなら服を売り払うか、俺が盗んでくるが。……ったくあの野郎、足元を見やがって」 |
「 | 盗みはダメ! ……えっとね、ちょっと待って…うんと、40,240フオン」 |
学院の生徒ならばそれだけの貯金を持っている者も珍しくはないが、さすがに持ち歩いているというのは異例である。
4万フオンといえば20代の一般職で3ヶ月分の稼ぎに相当し、つまり早い話が大金である。
「 | あ、ち、違うの! こっちにいる間はザブランの人から毎週5,000フオンが支給されることになってて、私あんまり使わないから、その……」 |
「 | だから何でそれを持ち歩いてるんだって…ああ、もういい。とにかく行くぞ。こっちだ」 |
……ふと思ったが、4月から毎週5,000フオンを貰っているのだとしたら、単純計算で15万フオンにはなる。
夏期休暇を除いたとしても12万フオンで、もはや14歳の少女が持つ額面ではない。
それが仮に彼女をこのザブランに縛りつけておくための甘美なエサのつもりだったのだとしても、いささかその度が過ぎているように思えてならない。
スラムで5フオンを稼ぐために丸1日働いていた頃が、酷く懐かしく感じる。
食料(現地で食べやすい果物を入れておいて、あとは携行用に水飴を購入した)を調達した2人は、一路カナンへの岐路を急いだ。このペースなら、夕方には着けるだろう。
やがて景色は街並から山岳地帯へと移り、そろそろ国境へと差し掛かる。
ここまで来ればさすがに追っ手の心配はないだろう…と思ったその時、2人の目に信じられない光景が飛び込んできた。
「 | 一見山賊だが…それにしてはみんないい武器を持ってやがる。恐らくこいつらは、賊を装った軍かテロリストだな。しかし一体誰を──」 |
ふと顔を上げたアルフレドの目に、がくがくと震えるエレノアの姿が映った。
その視線の先には、たくましい体を持った中年の男。
ただ眠っているだけにも見える穏やかな表情で、彼はそこに立っていた。
遠目には信じられなかったが、どうやらその男は死んでいるらしいことが分かった。
剣を支えとして、かろうじて立ったままでいられたようだ。
「 | ……アルも多分知ってる人だよ。ガラハド・シルバーヘルム。……カナンの騎士団長だよ」 |
父は散々「田舎騎士」と嘲っていたが、それでもその勇猛さはアルフレドの耳にしっかりと入っていた。
実際に会ったことはなかったが、彼は自分の憧れであり、自分もいずれ彼のようになりたいと思ったことさえあった。
その男が、こんな……。
「 | 死んだら何にもならないんだよ……。未来は、そこで終わっちゃうんだよ……? ねぇ分かってる?」 |
泣きながらそう訴えるエレノアの言葉に、アルフレドは何も言い返すことができなかった。
「 | ……なるほど。やはり真っ直ぐ城には戻らず、こちらに寄ったのは正解でしたね」 |
貴婦人と呼ぶにはまだ年若いその少女は、紅茶をすすりながらそう言った。
「 | 一体どういうことなんだい、サディ。僕には何のことだか……」 |
「 | 分からないのも無理はないでしょう。貴方にはそれだけの知識も経験も不足しているのですから」 |
「 | つまり…それはセシリアにも同じことが言えるのです。いつも一緒にいた貴方なら分かると思いますが、あれは政治のイロハなど何も知りません。フォンクライスト寄宿学院でも、その分野については市井が知る程度のことしか教えていないと聞きます。ではなぜ、このたった2、3日の間に、滞っていた政務をこうまで円滑に行うことができたと思いますか?」 |
「 | それは…士気が高まった他の高官たちの助けもあって……」 |
サディナが嘲りを含んだ笑いを漏らす。
「 | わたくしたちが山道で奇襲を受けたのは、先程話しましたね」 |
「 | あれは明らかにザブランの軍の者でしょう。つまりザブランは、わたくしたちを消そうとしているということです。何故か? 抜け殻になった兄上を傀儡とし、セシリアを影の王として立て、自分たちのいいように使おうとしていると、わたくしは思うのです」 |
「 | じゃあ…セシリーにはザブランの息がかかっていて、裏で彼女を操っている者がいると……?」 |
「 | 他国では魔法という言葉は、薬物を用いた呪術…平たく言えば催眠術も含みます。そして本来の魔法の文化の衰えたそれら諸国では、わたくしたちが思うよりはるかにそれを発展させています。仮にセシリア自身すらそうとは気づかない内に暗示にかけられていたとしたら? 充分有り得る話ですわ」 |
そこへ、部屋の外から執事の声がかかる。
その声に屋敷の主であるリチャードが返事するより早く、サディナがこれに応えた。
にべもなくそう言い放つ。
恐らくはフィオリナかノーラだろう。後で謝っておこうとリチャードは思った。
『 | それがその…いらしたのはセシリア様と、お連れの方なのです』 |
用心のため、途中で馬車は捨ててきた。
カナン城内にはまだ、サディナたちが帰還したという情報は入っていないはずだ。
「 | ……とにかく中へ。リチャード、どこか隠れられる所は?」 |
「 | あ、ああ…それじゃあそこのクローゼットに。2人だとちょっと窮屈かもしれないけど我慢して」 |
リチャードに指示されたクローゼットに、サディナとアリシアが身をしのばせる。
そして部屋には、入れ替わりにセシリアと、もう1人見知らぬ少年が入ってくる。
ふとそこで、違和感を感じるリチャード。
少年に対してではない。
目の前にいるのは、確かに自分がよく見知った少女だ。そのはずなのだが……。
「 | ? なにリック、変な顔して。……もしかして私匂う!?」 |
くんくんと服の匂いを確認する少女のすぐ目の前まで移動し、ぽんと頭に手を乗せる。
ぼかん!
少し腫れ上がった頬をさすりながら、もう一度じっくりとその少女の顔を確認する。
そう…なのだが、ここ数日会っていたはずのこの少女は、夏期休暇の時と比べても幾分か成長していたはずだ。
背も僅かだが伸びたと喜んでいたのを憶えている。
だが今目の前にいるこの少女は、かつてと全く変わらない姿でそこにいた。
「 | アルフレド・デュフィ。……なあ、あんたあのガラハド卿の息子なんだよな? だったらまずあんたに話しておかないといけないことがあるんだ」 |
「 | ついさっき、俺たちは国境付近であんたの親父さんを見てきた。……死体でな」 |
サディナらから話は聞いていたので、大方の予想はついていた。
もちろん色々と疑問のある中この話を鵜呑みにするわけにもいかないのだが、そうなってもおかしくない状況下に父がいることは知っていたことだ。
それでもあの強かった父がそうなってしまったことに、いまいち実感が湧かないのが本当のところだったりする。
「 | そういう立場の人だからね。いつそうなってもおかしくないから、覚悟はしていたよ」 |
この2人にサディナたちの存在を気取られてはいけないので、そう答えておく。
と、テーブルの上に3客分のティーカップが出しっぱなしだったことにそこで気がついた。
向こうもこれには気づいたらしく、エレノアが怪訝そうな顔をする。
「 | うん、入れ違いでね。すみません、新しいのを淹れてもらえますか? ……でも驚いたよ。いきなりレナたちが訪ねてくるなんて」 |
怪しまれないように、努めて冷静にそう言う。
「 | こいつ、向こうで命を狙われたんだ。だからこっちに避難してきた」 |
この少女が命を狙われたということよりもむしろ、サディナらと似たその報告内容にリチャードは驚いた。
「 | でね、アルが言うには、こっちで何かあったんじゃないかって。そういえばリック。私から出した手紙、ここ2週間ほど全然返事がないんだけどどうしたの?」 |
「 | ……1つ訊くけどレナ。君は今までザブランにいたと、そう言うんだね?」 |
もう何がなんだか分からなくなってくる。
彼女らの言っていることが本当だとすると、今城にいる彼女は?
しかしあのセシリア姫も自分たちのことは良く知っていたし、10万人に1人、属性も考慮すれば更に低確率となる白い魔力さえ兼ね備えていた。
だから疑うということは今まで考えもしなかったのだが……。
リチャードはエレノアの左手首のブレスレットに触れると、頭の中に言葉を思い浮かべる。
アルフレドにはそれは単にエレノアの手首を掴んでいるだけにしか見えないが、それは彼にとっての最後の確認だった。
「 | サディ、アリシア様も。もう警戒する必要はないから出てきていいよ」 |
部屋の隅に置かれたクローゼットの扉が開き、その中から2人の少女が現れる。
エレノアのその問いには答えず、リチャードに向き直って、そして言う。
「 | つまり今城にいるセシリアはザブランの息のかかった偽者で、こちらの方が本物というわけですね」 |
「 | うん、間違いないよ。盗みでもしない限りはそのブレスレットと同じものは用意できないし、でも城の方の彼女も同じものをつけてたからね。仮にあっちが本物の彼女なら、盗まれた後で形だけ同じものを作る必要はない。そういうものじゃないから」 |
サディナとアリシアは、それが聖剣の姿を変えたものだとは知らない。
だから言葉を濁して言うのだが、その確信に満ちたリチャードの言葉に彼女らも納得した様子だった。
「 | しかし、これで全てが繋がりましたね。元々ザブランはこのことを見越してセシリアを留学させた。そして父上とわたくしたちを亡き者にし、兄上を傀儡とした上で偽者のセシリアを使って国を乗っ取る」 |
エレノアの正体が出たことが少々気になったが、部外者であるアルフレドは別段気にしていないようだ。
性格でなければ、恐らくそのことも彼女自身から話してあるのかもしれない。
まあどのみち、この状況下では隠しておけるものでもないのだが。
「 | ちょ、ちょっと待って……? サディ姉たちを亡き者っていうのは、国境付近のあれだよね? でも、父様と兄様も…ってどういうこと? 何かあったの?」 |
「 | ……そういえば、手紙が滞ってるって言ってたね。となると、そのこともまだ知らなかったんだ……」 |
ふとリチャードの脳裏に、あの苦悩する偽者の姿が浮かんだ。
ここで彼女にそれを言っていいものかどうか。
しかしそんなリチャードにはお構いなしに、サディナがさらりと事実を告げた。
「 | 父上が亡くなり、同じ病から見かけだけ回復した兄上が今は形だけの王となっています。偽者のセシリアはわたくしたち3人で兄上を支えると言ったみたいだけれど、そのわたくしたちまで消されそうになった。簡単に言うとそんなところです」 |
「 | もしかすると、病そのものも毒物か何かの仕業かもしれません。呪術というものがないカナンは、薬物の研究が遅れていますからね。原因が分からなくても不思議はないでしょう」 |
今に始まったことではないのだが、この冷酷さはもう少しどうにかならないものかと思う。
リチャードは覚悟ができていた分ショックも少なかったが、エレノアにとってはまさに寝耳に水だ。恐らく耐えられるはずはない。
「 | そう……。じゃあ、夏の間に会っておけば良かったね」 |
悲しそうな笑みを浮かべ、下を俯きながらそう呟く。
しかしその瞳から涙が溢れることはなかった。
「 | ん、なんとか……。リセが亡くなった時にいっぱい泣いたから、もう流す涙なんてなくなっちゃったのかも」 |
「 | ああ…その手紙も届いてないんだね。うん、事故死だって」 |
「 | 世間話はその辺りにしておきなさい。とにかく城にいるのが偽者と分かった以上、すぐにでも乗り込むべきです。こちらには本物のセシリアがいるのですから、正体を暴くのは易いでしょう」 |
エレノアは形だけ指で涙をすくうと、城のある方に目を向けた。