第06話
新しい出会い
先程と同じように、執事が部屋の外から声を掛ける。
『 | 庭仕事を終えた庭師から聞いたのですが…不審な人影らしきものを見たとのことです』 |
「 | わたくしたちを襲った刺客の討ち漏らしか…あるいはセシリアたちを追ってきたかでしょうね」 |
サディナの言葉に、その場にいた一同に緊張が走る。
リチャードはそう言うと窓際に移動し、魔法で視界を屈折させて周囲を調べる。
「 | ……残念ながら、サディの言った通りみたいだ。恐らく人数は6人。ちょっとつらい数だね」 |
そう言ったのは、部屋の外で話を聞いていたメイドのメアリーだった。
「 | じゃあこれが初の実戦になるわけだね。……いいかい、相手はプロだ。躊躇ったら殺られる。決して気は抜かないで」 |
言って、エレノアを横目でちらりと見る。
「 | ……よし。ならレナたちは先に行って。瞬間移動すれば、連中に気づかれずに抜け出せるだろう」 |
エレノアの属性は運動だったはずだとサディナが怪訝な顔をするが、それには構わずエレノアが言う。
「 | 重要なのは君たちだけだ。それに、レナはともかくサディとアリシア様を守りながら戦うのは難しい」 |
エレノアが手首から聖剣を外そうとするが、それをリチャードが手で制する。
「 | それでも、2人を守りながらの方がリスクが高い。行ってくれた方がいいんだ」 |
「 | ……日没まであと5分…ってとこだね。恐らく連中は、こちらから出て行かなくても日没と同時に屋敷を襲撃するだろう。その前に行って」 |
サディナに言われ、仕方なくリチャードの言う通りにするエレノア。
そしてそう言うと、3人の姿はその場から掻き消えた。
「 | あいつ、あんなことができるんなら、ザブランからこっち来る時にも使えば良かったんじゃないか……?」 |
「 | 力の消費が激しすぎるんだよ。ここから城までの短い距離ならともかくね。……アル君、君は壁に掛かってる剣を使って」 |
あまりに豪奢な飾りが施されているその剣を手にし、思わずそう呟く。
「 | 僕の剣以外はこの屋敷にはそれくらいしかないんだ。大丈夫、重いのは鞘くらいだから、使うのには問題ないよ」 |
アルフレドは剣を抜き放つと、その一度も使われたことのないであろう美しい刀身に思わず見惚れる。
それは、これから実戦に出るのだということを忘れさせるほどだった。
そう言うとリチャードは魔力を集中させ、ドレスを着た女性の幻影を作り上げる。
近くで見るとあまりにお粗末な像ではあるが、日没間近のこの時間帯なら充分に通用するはずだ。
「 | そうでもないよ。ちゃんとできることとできないことが決まってる。もし何でもできるんだったら、この影を戦わせてるよ」 |
リチャードは幻影の体に手を入れ、それがただの虚像であることを強調する。
そしてその像を屋敷の外へ放つと、先程と同じようにして敵の動向を伺った。
「 | ……うん、2人だけど引きつけるのに成功した。それじゃ僕らも玄関に回るよ。決して離れないで。相手はそれでなくてもあと4人いるんだから」 |
「 | セシリア、貴女は今城内にいることになっています。ですから、正面からはわたくしたちだけで入ります。その際見張りの注意を引きますから、その間に貴女お得意の隠し通路まで移動なさい」 |
「 | わたくしたちがその出口に向かいます。城の内部へさえ入ってしまえば、後は怪しまれることはないでしょう」 |
サディナは着衣の乱れを正すと、アリシアを伴って正門へと向かった。
「 | これは姫様方、お帰りなさいませ。……あの、馬車はどちらに?」 |
「 | 久し振りの帰国に少し歩きたくなってみましたので、少し前に先に降ろして頂きました。恐らく今はもう厩舎の方に行っていることでしょう。ガラハド卿もご一緒ですわ」 |
あまりに堂々とそう告げるサディナに、門番は全く疑うということをしようとしない。
改めて姉の凄さを肌で感じると、エレノアは植え込みの陰を移動しながら隠し通路へと向かった。
「 | 実は陛下とザイス様のことでお耳に入れたいことが……」 |
「 | そのお話は中で別の者にゆっくりと伺うことにします。お前はここで自分の職務を全うなさい」 |
門番が深々と敬礼する中、サディナらはその前を悠然と歩いていった。
リチャードの切っ先を寸手のところでかわす刺客。
彼らは剣士ではないので純粋に技量だけで言えばリチャードの方が上だが、機敏さだけは圧倒的に優れている。
そんな連中を相手にして2対4。早く数を減らさなければ、体力を消耗するばかりだ。
一方のアルフレドはというと、初めての実戦に少々戸惑っている感はあったが、刺客の動きにはなんとかついていっているようだった。
学院ではエレノアと手合わせをする機会も多かったと聞くので、それが功を奏しているのだろうか。
リチャードは周囲の日が落ちたのを確認すると、一旦刺客から距離を取って魔力を集中する。
そして自分に対して向かってくる2人に対して、充分に引きつけたところで最大限の閃光を放った。
ひるんだ隙に躊躇なく振り下ろされる剣。
まずは1人目の右肩を斬り裂くと、今度はもう1人の方にその刃を向ける。
だが仲間の悲鳴を聞いたその男は、寸手のところでその刃をかわした。
そうして一旦距離を取ったかと思うと、すぐまた正確な攻撃をリチャードに浴びせかけてきた。
恐らくもう同じ手は通用しないだろう。
だが3人に減らすことはできた。
そう思った次の瞬間、アルフレドの方から悲鳴が上がる。
どうやらアルフレドも1人片付けたようだった。
だが戦い慣れていないせいもあってか、既に息が上がっている。
さっさと目の前の1人を片付けてしまえば、充分に勝機はある。
そう思って剣の柄を握り直した時、別の方向から短剣が飛んできた。
これでまた2対4。
しかも体力が消耗している分、状況は先程より更に悪化していた。
執務室とは王が国の機密に関わる書類仕事をするための部屋で、王族以外は入ることを許されない。
そのためなまくらな王にとっては休憩室としても恰好の場所なのだが、とにかくその部屋に今はいるわけだ。
「 | 何が都合がいいものですか。大勢の目の前で偽者の正体を明らかにしてやる方が良いに決まっているでしょう」 |
「 | ……私は、何でこんなことをしたのかちゃんと聞いてみたい。だから、ゆっくり話せる機会がある方がいいな」 |
そうして3人は、執務室の前に辿り着く。
サディナは躊躇いもなく鍵を開けると、その扉を開け放った。
そこにいた人物は2人。
1人はエレノアの偽者で、もう1人はザブラン人を象徴するかのような整った目鼻立ちの初老の男性。
そしてその男性に、サディナらは見覚えがあった。
「 | これはこれは…こんな所で貴方とお会いできるだなんて。そうは思いませんこと? ザブラン公国評議会議員、ジルベール・ベルトン伯爵」 |
「 | どうして? それを問うのはこちらですわ。ここはカナン国の、しかも王族のみしか入ることを許されない部屋。そこに何故貴方がいるのです? 答えなさい!」 |
まさに死人を見たかのように蒼白になり、ガチガチと歯を鳴らすジルベール。
このままでは何かを吐かせるのは難しい。そう判断したサディナは、幾分か冷静さを保っている偽者のエレノアの方に目を向けた。
「 | ……なるほど、本当に良く似ている。こうして見比べればやはり多少は違うものの、しばらく会わなければ分からないのも無理はないでしょう。……貴方、今どのような状況に置かれているか理解していますね?」 |
「 | では白状して頂きましょうか。この一連の騒動について」 |
「 | ……待って…待ってサディ姉! あなた…もしかして……」 |
幽霊を見た。
そんな表現がしっくりくるエレノアににっこりと微笑みかけると、その偽者が言った。
「 | その声…やっぱり間違いない……! リセ…リセ、だよね……?」 |
エレノアのその問いに、偽者の少女がこくりと頷く。
「 | リセというと…貴女がさっき言っていた、あの亡くなった少年のことですか?」 |
サディナが皮肉な笑みを浮かべながらそう言う。
「 | なるほど、初めからこのためにセシリアに近づき、彼女になり代わるために研究していたというわけですか」 |
先程より幾分か高い声で、そう答える。
恐らく聞き慣れたあの声は、意図的に低くしていたものなのだろう。
「 | 事の始まりは今年の春。ザブランの高官と名乗るこの人との出会いがきっかけでした。この人は劇団員だった私に『女王になりたくないか』と言ってきたので、気の利いた冗談だと思った私は『なりたい』と答えました」 |
淡々と始められた告白。恐らくリセはもう、覚悟は決めているのだろう。
一方ジルベールは、血の気の引いた顔で床に四つんばいになっていた。
「 | ……するとこの人は私をフォンクライスト寄宿学院に編入させ、私に男性として振る舞うように指示しました。その日からリセリア・エルランジェ…私の本当の名ですけど…は、リセ・ファリエールとして生きることになりました」 |
「 | ……でも、自分から身を引くこともできたのに、そうしようとはしなかった。上からの圧力が怖かったのもあるけれど、やっぱり女王という身分に憧れていたんだと思います。貧しさゆえに劇団員として幼い頃から働いていた私にとって、華やかな世界はまさに憧れでしたから」 |
「 | 執事に暗示をかけて、取り分けるパンに毒を盛った…と、後でこの人に聞かされました。ただそれはただの神経毒で、直接死に至ることはありません。解毒剤を使えばすぐに眠りから目覚めるものです」 |
「 | いえ…もう投与しました。頃合を見て私が。昏睡期間が長引けば、脳に障害が残る毒ですので、今の状態はその影響です」 |
「 | そして父上は解毒剤を投与されることなく、そのまま衰弱死した…というわけですか」 |
しばらくの沈黙の後、俯きながらそう言う。
「 | よろしい。では、これより貴方がたを拘束します。覚悟はできていますね?」 |
「 | セシリア。情が移るのは分からなくもないですが、この娘は今まで貴女を騙していたのですよ?」 |
「 | ま、待たれよサディナ殿。この娘はともかく、私まで処罰していいと思っているのですかな? ザブランの評議会議員であるこの私を処刑すれば、即ち2国間の繋がりは途絶えるということ。そのことは理解しておられますかな?」 |
この後に及んで、ジルベールが醜い命乞いをしてくる。
だがサディナはそれを意に介する様子もなく、震えるジルベールに冷たく言い放つ。
「 | この一連の不祥事を貴公の独断としてしまえば、何ら問題はありません。交渉次第では本件をザブランの弱みとし、より有利な交渉に持っていくことも可能です。分かりますか? 貴公はザブランの顔に泥を塗った反逆者として処分されるわけです」 |
サディナのこの言葉に、ジルベールはたまらず気絶してしまう。
一方のリセは覚悟の差だろうか、取り乱す様子は一切なかった。
「 | ねぇ…ねぇサディ姉……。サディ姉の言う通りなら、悪いのはこの人だけなんだよね? だったらリセは……」 |
「 | わたくしは貴女に理解など求めていません。黙っていなさい」 |
リセは穏やかな顔でそう言うと、机の上にあったペーパーナイフを手に取る。
その仕草はあまりにも自然で、その場にいた誰もそれに気づくことはなかった。
手に握られたペーパーナイフが、リセの喉笛を貫く。
そこから鮮血が噴き出し、辺り一面を真っ赤に染め上げた。
慌てて駆け寄るが、もう既に息はない。
そこでふと、自分の左手首にあるものの存在に気づく。
そうだ、聖剣の時空魔法ならリセを助けられるかもしれない……。
『 | やめておけ。我が力を貸すなら話は別だが、貴様の力では時間を止めるのがやっとだろう』 |
「 | それでもいい…後で絶対に後悔したくないもん……!」 |
そう言い終えるより早く、エレノアは傷口に対して時空魔法を使った。
斬られた左腕を庇うこともせず、残った右腕で剣を構えるリチャード。
体力はほぼ限界に達していたが、ここへきて人数を減らせたのは大きな成果だ。
思っていたよりは元気な返事が返ってきたことに、リチャードは幾分か安堵する。
息は随分上がっているようだが特に怪我をしているわけでもないようなので、ドジをしなければなんとか持ちこたえてくれるだろう。
そうこう思っている内に、アルフレドも1人片付けてくれたようだ。
これで残るは2人。なんとか勝算が出てきた。
そこへ、右ふくらはぎに突然の激痛。
見ると、倒れていた男がナイフを突き立ててきていた。
膝をつきながらリチャードはその男に剣を突き立てる。
……迂闊だった。
アルフレドに「躊躇ったら殺られる」と言っておきながら、殺さずにおいた自分の甘さが招いた結果だ。
目の前には残った方の刺客。
なんとか残った右腕だけでそれをいなすが、この体勢で、片腕だけで剣を振り続けるのは限界がある。
アルフレドがリチャードを助けようとするが、目の前の敵に阻まれてそれがままならない。
そう思ったその時。
聞き慣れた声と共に、かすかな風を切る音が闇の中に聞こえてきた。
次の瞬間には、悲鳴。
目の前の男は無数の氷の矢を全身に受け、その場に力なく倒れ込んだ。
フィオリナは残るもう1人の刺客にも同様に氷の矢を放つ。
それは寸手のところでかわされてしまうのだが、代わりに今度は稲妻がその刺客に命中した。
大したダメージはないようだが、それでも一瞬は動きが止まる。
その隙をついて、アルフレドが渾身の力を込めて剣を振り下ろした。
どさり、とその男が地面に倒れ……ようやく戦いは幕を閉じた。
「 | 今、城の方に行くわけには参りませんので、ご学友の方々に助力を求めたのでございます」 |
軽く息を切らしながら、彼女らの後ろから現れた執事がそう言った。
「 | まったく、だ……。さっき、のは、さすがに、焦ったな」 |
精根尽き果てたといった感じで、その場にあぐらをついたアルフレドが言う。
彼は何ヶ所かに軽い切り傷を受けているようだが、どれも大したことはなさそうだ。
「 | レナの友達のアルだよ。事情は中で説明する。……と、その前に後始末をしないとね」 |
「 | それは我々が。リチャード様とアルフレド殿は中で傷のお手当てを」 |
リチャードはノーラに肩を借りると、屋敷の中へと移動した。
言われてはいたことだが、想像以上に力の消費が激しい。
しかも時間は止まるどころか、緩やかになっただけで今も尚流れ続けている。
しかし気持ちだけではどうにもならないことも、エレノアはよく知っていた。
それでも、後悔だけはしたくない…できる限りのことはしたい……。
そこへ、彼女の肩に柔らかい手が触れる。
「 | それは魔剣ですね? セシリアの力を使って時空魔法を使っている…そうですね?」 |
「 | 魔剣はあらゆる力を糧とできると聞きました。なら、妾の力も使えるでしょう?」 |
「 | 貴女も力を貸しなさい、サディナ。このままセシリアまで死なせてしまっていいのですか?」 |
そう言うとサディナは、ジルベールを伴ってエレノアのもう一方の肩に手を置いた。
「 | それなら、この男にも協力してもらいましょう。魔剣、まずはこの男の力を優先的に使いなさい。いっそ吸い尽くしても構いません」 |
聖剣がそう言うと、エレノアの負担がふっと軽くなる。
同時に、アリシアとサディナの顔に苦悶の色が浮かぶが、先程のエレノアほどではない。
そして傷口を見ると、徐々にではあるが時間が退行しているのが分かった。
『 | だが安心はするな。失った血までは戻せん。回復する見込みはむしろ薄いと思え』 |
やがて傷口が完全に塞がり、心臓もなんとかその動きを回復する。
吸い尽くしても構わないと言われていたジルベールは…一応無事のようだった。
このまま死ねた方がこの先の処遇を考えれば楽だったのにと、エレノアはちょっと気の毒になった。
……だが、それはリセにとっても同じことだ。
「 | 一度死んだのでしょう? なら処刑は行ったも同じ。……後は貴女の好きになさい」 |
枯れ果てたはずの涙を流すエレノアと、その妹に背を向けるサディナ。
アリシアはそんな2人の光景を、穏やかな表情で見つめていた。
結局この事件はサディナがそう望んだ通り、ジルベールの単独犯ということで決着がついた。
カナンへの軍事的経済的支援は、今後も変わらず継続。
ジルベール本人は死罪、およびベルトン家は伯爵の位を剥奪され、その空席と領地はセシリア王女を護ったとするアルフレドのデュフィ家に委譲された。
エレノアとアルフレドは学院への復帰を勧められたが、サディナは安全上の理由からこれを拒否。
アルフレドもいつ寝首をかかれるか分からないとのことで、色々と理由をつけて断った。
そして彼は今、カナン王城で奉公をしながら学んでいる。
絶対に反対すると思っていたアルフレドの父は意外にも快くこれを認め(王女と親しくなった息子を婿入りさせ、王族の親戚になろうと画策しているらしい)、こうして事件は一応の決着を見たのだった。
──そして秋も終わりに近づいた頃のこと。
「 | ねぇねぇ聞いた? 今日うちのクラスに編入生が来るんだって!」 |
噂好きのキャロルが、早速仕入れた情報をクラスメイトらに流布する。
しかしいつも思うのだが、こういった情報はどこで仕入れてくるのか不思議でならない。
「 | 珍しいよねー。他の科でもそうそうないのに、よりによってこの魔法科よ!? しかもこの時期に! これはきっと何か事情があるに違いないわ。ま、増えるに越したことはないんだけどね」 |
そこへ、教室に担任がやってくる。
「 | 今日は編入生を紹介する。都合で入学が遅れたが、魔法は独学でそれなりに使いこなせる上、学科ではクラスの平均よりいずれも上だ。みんなも負けないように頑張るんだな。……さ、入りなさい」 |
担任の指示で教室に入ってきたのは、アッシュブロンドの髪の小さめの少女だった。
彼女は簡単に自己紹介を済ませると、担任に指示された一番後ろの席につく。
その隣には、海外留学で長らくクラスから離れていたために、同様に後ろの席に追いやられた少女が座っていた。
リセリアが、感情を飲み込んだ声で言う。
「 | エレノア・シルバーヘルムです。よろしくね…リセ」 |
それは新しい出会いの挨拶。
そして一からやり直すための儀式。
2人はそうしてしばらく見つめ合うと、やがてどちらからともなく笑い出した。