第05話
魔界
昼夜を問わず、剣を打ち合う音が響き渡る。以前のカナンからは想像もつかなかった光景だ。
こちらの兵士は捕まり次第正気を奪われ、彼らの仲間となる。つまり戦えば戦うほどに、敵の戦力は膨れ上がっていた。
こちらに残っているのは宮廷魔導師13人と、わずかな兵のみ。
他国へと通ずる3つの街道も全て物理的に塞がれ、隣国の援軍も望めない。
もはや国全体が乗っ取られるのは、時間の問題であった。
一方、先の戦いで傷を負ったリチャードは、一命は取り留めたものの意識は一向に戻らないままだ。
今その身はカナン王城に移され、エレノアらがその看護に当たっていた。
「まったく、何ということだ! このままでは城が落とされるのも時間の問題ぞ! まったく、飼い犬に手を噛まれるとはこのことだ!」
リチャードの父にしてカナン国騎士団長のガラハドは、落ち着きのない様子でそう言いながら、会議室の中をせわしなく歩き回る。
「あの愚息がしっかり目を光らせておれば、こんなことにはならなかったものを!」
「まあ、そう言いなさるなシルバーヘルム卿。今はどうやってこの事態を収拾するかが重要ですぞ」
宮廷魔導師のホアンがやんわりとそういさめるが、頭に血が上ったガラハドはなおも収まることなく言を続ける。
「そう仰いますが。魔物と化した者たちは、ただの農民でさえもこちらの兵士と拮抗する。その兵士らも捕らえられ、奴らの手中で更なる脅威となる。教師どもは一人ひとりが宮廷魔導師にも匹敵し、その数は22とこちらを圧倒する。そしてそれ以前の問題として、食料すらこちらは近い内に尽きるでしょう。土地を制しており、収穫を終えたばかりの奴らには、その心配すらない」
次々と絶望的な要素を並べたてるガラハドに、その場にいた一同が下を向いて沈黙する。
カナン国王に至っては、目の前で手を組んで神にお祈りを捧げる有様だった。
そしてそんな彼らをよそに、ガラハドが更に続ける。
「中には自ら望んで奴らの手先になったものもいるそうだ。たしかに、命だけは助かるだろうが、騎士として恥ずかしくないのか? まったく、愚かしいこのこの上ない!」
「ではどうすると申される? 最後の1人まで戦って死ぬかね。それで貴公は満足かもしれぬが、そうでない者が多いことを忘れなさるな。我々は、可能な限り生き残る道を模索せねばならぬのです」
「私もそれくらいは分かっている。だが、あれはどう戦っても勝てる相手ではない! せめて援軍さえ頼めれば……」
そう言って唇を噛む姿には、かつての勇将の面影はなかった。
「あのー……」
そんな中、室内に緊張感のない声が響く。
ガラハドの大声を廊下で聞きつけてきたノーラだった。
会議室といっても扉は取り付けられていないので、廊下までは筒抜けだ。
そんな入り口から身体半分だけを覗かせる格好で、ノーラが割り込んでくる。
「なんですかな、ノーラ殿?」
「みんなは魔石に操られているんです…よね? それなら、それを壊してしまえばいいんじゃないでしょうか……?」
「子供が生意気な」
ノーラのその意見を、ガラハドは一言で切り捨てた。
それを聞いた彼女は申し訳なさそうにその場を立ち去ろうとするが、ホアンがそれを引き止める。
「……いや、正面衝突が効果をあげられない以上、そうするのが良策でしょう。試してみる価値は、充分にあると思いますな」
「では、誰が行く? 隠密部隊が1人でも残っていたならそれも良いが、今は全滅してもうない」
「──私が行きます」
そう言ったのは、ノーラの隣にいたフィオリナだった。
「フィオリナさん!?」
「校内の見取りは、現役の生徒である私が一番熟知しています。私に行かせてください」
「フィオリナ殿、貴女には魔力がある。それは相手の魔法使いの『色』を察知できる反面、こちらの『色』も相手に『見え』てしまうのですぞ。それならばまだ、魔力を隠せる我々宮廷魔導師が事に当たった方が良い」
ホアンの言葉に、その場にいた宮廷魔導師らが皆一様に不安の表情を浮かべる。
いかに魔力が隠せようとも、体そのものが見つかってしまえば意味はないし、そもそも彼らは隠密活動をするような訓練など受けてはいない。
年齢的にも高齢の者が多く、およそ見つからずに潜入するのは彼らには無理だろう。
だがそんな宮廷魔導師らなど初めから期待していないといった風に、フィオリナが言う。
「では、魔力を隠す術を私にお教え下さい」
「無茶を言いなさるな。貴女が努力家で、才能にも恵まれておることは私も承知しておる。しかし、それは普通ならば5年から10年の時間を必要とする。今からでは間に合わぬ」
「では3日。3日だけお時間をお与え下さい。その間に習得できなければ、私はこの件から身を退きます」
フィオリナのこの発言にざわめく室内。
ガラハドにいたっては「馬鹿な」と失笑を漏らすが、ホアンはしばらく目を閉じて熟考すると、やがてその重い口を開いた。
「……よろしい。ですが、こちらでも1人用意させて頂く。貴女に任せるのは、あくまでもその者の補佐だ」
「承知致しました」
ホアンのこの判断に、主に否定的な意見が飛び交う。
身にならないであろうことに貴重な戦力を割くことになるほか、いかに優秀といえど、まだ年端も行かない少女を危険な目に晒すかもしれないからだ。
ホアンはそれらを「自分が指導する」「無理だと判断すれば作戦には加えない」と言って一蹴すると、早速フィオリナを連れてその場を後にした。
一方取り残されたノーラはというと、自分の軽率な発言がこの事態を招いてしまったことを強く後悔していた。
「セシリア様…そろそろ交代します」
その夜、リチャードの隣で看病を続けるエレノアの元へ、ノーラがやってきてそう告げる。
「レナでいい…って言ってるのに」
そう言って苦笑するエレノアの顔には、軽い疲労が浮かんでいた。
「……フィーのこと、聞いたよ。これからは2人で看ないといけないから大変だね。メイドは人手が足りないし、姉様方は放っておけって。冷たいよね。……どうしたの?」
「セシリア様は…いいんですか? フィオリナさんが死んじゃっても」
涙を浮かべながら、ノーラがそう言う。
その問いにエレノアはゆっくりと首を横に振ると、ノーラに言った。
「みんな…自分のやれることを精一杯やろうとしてるんだよ。それをどうこう言うことなんて、できないよ。そりゃあ、できれば行って欲しくないし、死んでなんか欲しくないけどね」
「わた…私なんて…静電気を作るくらいしかできませんし…悔しいです。こんな、何もできない自分が……」
自分の無力さを呪い、涙するノーラ。
自分にも同じ負い目があるエレノアは彼女の気持ちがよく分かる分、それだけ余計に心が痛かった。
そしてエレノアはしばらく考えると、やがて静かに言った。
「……チェス、得意だよね」
「え……」
何を言われたか分からないといった風のノーラをよそに、エレノアが続ける。
「私だって…手を触れずに物を動かすことすらまだまだ苦手。でも、速く走ったり、高く跳んだりはできるよ。だったら、それでフィーたちが潜入してる間、敵の気を逸らせないかな?」
「そんな…セシリア様まで……」
「そこで、ノーラちゃんの出番。ノーラちゃんって軍師向きだから、私という駒を取られないように考えてくれないかな?」
「チェスと実戦とは違います! セシリア様まで死んじゃったら、私──」
「そうならないように、必死に考えて。私はノーラちゃんを信じてる。大丈夫、危なくなったらちゃんと逃げるから。……だから、やろうよ、私たちも、自分たちにできること」
エレノアの思いがけない言葉にしばらくどうしていいか分からずにいたノーラだったが、強い意志を持ったその目を見て、やがてその決心は固まった。
「……分かりました、頑張ります! でも…でも、絶対に無茶はしないでくださいね」
「うん。約束する」
そう言って、お互い指切りを交わす。
それは誓いの儀式であり、また、お互いの存在を確かめるためのもの。
触れた小指の体温は、確かに今を生きている証拠である。
「約束…ですからね、セシリア様」
「うん。それでね、ノーラちゃん」
「はい?」
びしっ!と、ノーラのおでこにデコピンを食らわすエレノア。
何が起こったのか分からないノーラは、痛むおでこを抑えながら、先ほどまでとは別の意味で涙目を浮かべていた。
「あつつ……」
「リックも嫌がってたけど、そーゆー堅苦しいのはヌキ! これ王女としての命令。オーケー?」
「わ、わかりまし…わかった」
「よろしい」
そうして2人顔を見合わせると、どちらからともなく笑い出す。
あの事件以来、ただでさえ色々あって塞ぎ込んでいた上に、ノーラはエレノアが王女セシリアだと知ってすっかり萎縮してしまっていた。
状況は決して良くないけれど、いや、こんな状況だからこそ、こうして笑い合えるのは実に嬉しいことだった。
「でも大丈夫なの? 周りの人たちが許さないんじゃ……」
「ダテに13年王女はやってないよ。抜け道ならお手のものだよ」
そう言って拳を握り締め、不敵な笑みを漏らす。
「そういうところが王女様っぽくないけど…うん、でもその方がレナちゃんらしいね」
「誉められてるのかけなされてるのか良く分からないんだけど……」
「もちろん、誉めてるんだよ」
──3日後
まだまだ荒削りとはいえ、フィオリナはなんとか実用に耐え得るだけの域に達していた。
まだ継続しては数秒程度しか隠せないものの、校舎内は遮蔽物が多いので、用心さえすればなんとかなるという判断だ。
ただ、ここまでになるのも通常では3年以上は要するものなので、宮廷魔導師らは皆一様に驚きを隠せない。
「ホアンさんの教え方が良いから」とはフィオリナの弁だが、彼女の抜きん出た才能の賜物であることは疑いようがない。
フィオリナのパートナーには、最も若い宮廷魔導師であるホフマンが選任された。
これは体力面を考慮したものだが、若いと言っても40近いおじさんだ。
彼もまたこの3日間色々と努力していたみたいだが、長い間魔法専門としてやってきたその体は、やはり一般の兵士と比べても見劣りは否めない。
そして作戦は、夕暮れを待って開始された。
街中はそれほど監視の目が厳しくないこともあったが、騎士団の牽制が功を奏し、学校まではほぼ問題なく辿り着くことができた。
だがやはりホフマンの体力不足は顕著で、植え込みに身を隠したところで必死に息を整える。
「駄目だね。ちょっと走っただけですぐ息が上がってしまう。君は大丈夫かい?」
「ええ、得意ではありませんけれど、体育の授業でもこれ以上は走ってますから」
「なるほどね。僕よりよっぽど役に立ちそうだ。しかし惜しいね。世が世なら君は、宮廷魔導師の筆頭魔女に、最年少でなれていただろうに」
「その世の中を本来あるべき方向に戻すのが、私たちの役目でしょう?」
フィオリナの言葉に、ホフマンが「ははは」と笑う。
「もっともだ。では、君の明るい未来のために、僕もひとつ、老体に鞭打つとしようか」
「ありがとうございます」
「……とは、言ってみたものの…あまり状況は良くないね」
そう言ってホフマンはぐるりと周囲を見渡し、そして苦笑する。
てっきり元学校関係者のみが校舎内を警備しているものだと思っていたら、そうではない。
思った以上に監視の目は厳しく、今いる植え込みから校舎内へすらも、辿り着けるかどうか疑問だった。
警備が厳しいということはつまり魔石がある可能性が高いということでもあったが、さすがにこれでは入り込む余地すらない。
と、その時。
突然周囲が騒がしくなり、警備に当たっていた者らが皆揃って走り出した。
その走って行った先を見やると、そこには宮廷魔導師の紅色ローブを着込んだ1人の人影があった。
「誰かが援護してくれてるみたいだ。今の内に行こう」
フードを深々と被っているので顔は全く見えないが、その魔力からフィオリナはそれが誰だか分かった。
ローブの人物は無軌道に逃げ回っているだけに見えたが、相手にそうとは分からないように、しっかりと逃げ道の確保を行っているようだった。
(あの子たち……)
やれやれと思う一方で、そんな彼女らの好意に温かいものを感じていた。
この好意を無駄にはしない──そう心に誓うと、フィオリナはホフマンの後を追った。
「なんて数なのよまったく!?」
力はセーブしているエレノアだったが、あまりの追撃の激しさに息を切らしていた。
追っ手の中には、当然魔法が使える者もいる。
その中にはエレノアと同種の力を持つ者も多く、何度も捕らえられそうになった。
他にも稲妻や火の球を放ってくる者もいて、それらを寸手のところでかわすエレノアは、意外なくらいの反射神経の良さに自分自身驚いていた。
だがその反面、この集中力が一瞬でも途切れた時、その時が自分の最期であることも理解していた。
(まずはこの『白い』人たちをなんとかしないとね……)
エレノアは校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下(雨天用に屋根だけが取り付けられているもの)まで敵を誘い込むと、その天井の自重を増加させて連中を下敷きにする。
これで極端に運動能力の高い追っ手はしばらくは動けない。
あとは飛び道具にさえ気を払えば、予定のルートでなんとか時間を稼げるだろう。
(あとは私の体力が続くか、ね)
エレノアは息を整えると、校舎から遠ざかるようにして再び走り出した。
校舎内に入った2人はまず職員室に向かい、鍵束を手に入れる。
校舎はこの職員室を含む研究棟と、生徒らが使用する講義棟と実習棟の3つがある。
フィオリナは室数の多い講義棟の分の鍵を取り分けると、ここ研究棟をホフマンに任せてその場を後にした。
講義棟というのは、つまりは一般の教室のある棟だ。
隠し場所の可能性としては低い上に無駄に室数も多いが、無視はできない。
フィオリナは覚悟を決めると、それらの部屋をしらみつぶしに探していった。
走り始めておよそ20分。
街の郊外まで敵を引きつけていたエレノアだったが、さすがに体力が限界に達していた。
とはいえたった20分では、まだ捜索を終えていないであろうフィオリナたちの身が危ない。
エレノアは一度大きく敵を引き離すと、目の前の小川に着ていたローブを投げ捨てる。
そして足跡のつかない草地を選んで移動すると、なんとか身を隠せる場所を探した。
(ごめんノーラちゃん、予定通りに行かなかったよ……)
そう心の中で呟くと、エレノアの意識は闇に落ちた。
講義棟を探し終えたフィオリナは、今後の自分の役割について考える。
恐らくホフマンは、うまくいけば研究棟の捜索を終え、今頃は実習棟にいることだろう。
(──うん?)
そんなことを考えていると、捕らえられた兵士らが連れてこられるのが窓から見えた。
一般兵が生きたまま連れてこられる理由など、言うまでもなく魔物化するため。
ならば彼らの行く先には、魔石があるはずだ。
フィオリナは彼らの行く先にある研究棟に回り込むと、そのまま彼らの後を追う。
もしホフマンが首尾良く事を済ませていれば取り越し苦労なのだが、万が一ということもある。
そしてしばらく追っていると、やがて彼らは学長室へと入っていった。
フィオリナは用心しながら扉に近づくと、その鍵穴から中を覗き込む。
(ホフマンさん……!)
そこには先ほどの連中と兵士の他に、学長と…ホフマンの姿があった。
ホフマンは手足を拘束された上から更に押さえつけられ、完全に身動きが取れない状態だ。
そして学長の手には、ほの赤く光る…魔石!
「ねずみですか?」
兵士らを捕らえてきた男の1人が言う。
「そのようだ。こそこそと何を調べていたのかは知らんが、こんな若造、儂の相手ではない。ただ魔力は強いようだから、せいぜい石の餌として使って、最後は儂らの仲間としてくれる」
見ると、ホフマンから魔石へと魔力が流れ込んで行っているのが見て取れた。
そしてホフマンは抵抗することすらできず、魔石に魔力を『喰われ』続ける。
「あと少しで終わる。しばし待て」
「はっ」
魔石を破壊してしまえば全てが終わる。
自分とあの兵士らだけでは学長には敵わないかもしれないが、この状況では迷ってはいられなかった。
フィオリナは一瞬で魔力を集中させると魔石を熱し、そしてすぐに急激に冷やした。
熱収縮差を用いた破壊法だ。
魔石がぴしっと小さな音を立てて崩れ落ちていく中、フィオリナは矢継ぎ早に学長の目の前に小規模な爆発を起こし、その視界を奪った。
兵士らを拘束していた2人が慌てて学長に駆け寄ろうとするが、そのおかげで自由になった兵士らが手際良くホフマンを解放する。
そしてそれより一瞬送れてフィオリナも部屋へなだれ込み、彼らに駆け寄る。
「たいした手際だ」
まだ目を開けられないでいる学長が言う。
そしてこちらを見ないままに手の平を振りかざすと、フィオリナたち3人はそのまま反対側の壁へと叩きつけられた。
「つぅ……っ」
そうこうしている間に、学長の手下が部屋の入り口を、窓を固める。──逃げ場は完全に失われた。
「どうして…魔石は破壊したのに……」
「なるほど。石を破壊すれば加護を受けた者どもを元に戻せると踏んでいたか。だがそれは間違いだ」
「く……」
学長の言葉に、フィオリナとホフマンが唇を噛む。
「だがこれで…あんたらは仲間を増やすことはできないはずだ。例え我々と最後の1人まで戦ったとしても、もうあんたらには未来はない。諦めて降伏しろ!」
「強気だな。石がなくなったおかげで生き長らえることができなくなったというのに。まあいい、1ついいことを教えてやろう。石の加護を受けた彼らの子もまた、その加護に恵まれる。つまり…既にカナン国民のほぼ全てを迎えた我々は、もはや石がなくとも未来を紡いでいけるのだ」
「戯言を……っ」
「信じる信じないは勝手だ。どのみち貴様らはここで死ぬ」
そう言って再度振りかざされる学長の手。
フィオリナは咄嗟にその魔力を逸らすと、その力で自分たちの立っている床を落とした。
「小癪な」
その力は魔剣ほどではなかったし、あの頃よりもフィオリナの力は増している。
軽い目眩だけですぐ立ち直ると、ホフマンに肩を貸して立ち上がらせた。
「ホフマンさん、歩けますか?」
「なんとかね。でも僕がいたらかえって足手まといだ。君たちだけで逃げろ」
「でも……」
「全滅したいのか? ……連れていってくれ」
「はっ!」
ホフマンの指示に、兵士の1人がフィオリナの体を抱えてそのまま部屋を後にする。
「ホフマンさ──」
フィオリナがそう叫んだ瞬間、激しい音と共にホフマンの体が押し潰される。
千切れた肉片が舞い、血潮が霧となって部屋を染める。
「うっ……」
激しい嘔吐感を覚えるフィオリナ。
ほんの一瞬の光景だったとはいえ、それは彼女にとってはあまりにも残酷すぎた。
「……慣れろとは言わんが、今は我慢するんだ。ホフマン様のお気持ちを無駄にしたくなかったらな」
「頭では…っ、理解してるんです…けど、どうも、感情が…ついて……っ」
自分の運命を変えるためなら、どんな犠牲もいとわない──。
そう心に誓ったはずのフィオリナだったが、まだ若さゆえの弱さが彼女の感情を揺さぶる。
それでも精一杯マインドセットを行うと、これから自分たちが生き延びるためのプランを頭の中に駆け巡らせる。
「正面からは…無理そうだな。敵がわんさと来やがる」
「……こっち…こっちです! 非常口があります。そこから逃げましょう」
「よし、案内してくれ」
兵士はフィオリナを肩から下ろすと、彼女を先に走らせ、自らもその後を追った。
「ん……? ……しま…っ!」
いつの間にか眠ってしまっていたエレノアが跳ね起きる。
どのくらい眠っていたのだろうか。既に辺りは真っ暗で、時間をはかるものさしはない。
見ると、大量の落ち葉がエレノアの上に降り積もっていた。
この落ち葉と、周りを木々に囲まれていることで、姿も魔力もうまく隠しきれていたようだ。
「フィーたち、うまくやれたかな……」
エレノアは自分の残りの体力を確認すると、一路、城への帰還を急いだ。