第08話
それぞれの明日へ
学校の敷地内に足を踏み入れるや否や、大勢の歓迎を受ける3人。
先の作戦で幾分か戦力を削いだとはいえ、まだまだ気が許せる状況ではない。
恐らく魔本を所持しているのは彼らのリーダーであろう学長ザンソア。
彼が確実に学長室にいるという保証はないが、以前の潜入時のこともあるので、確率としては最も高い。
とはいえ研究棟に辿り着くのでさえ、このままでは難しいだろう。
「どうする? 私が囮になろうか?」
「いや、僕が。2人は先に行って。後から必ず行くから」
「……うん、分かった。気をつけてね!」
エレノアはフィオリナを背負うと、敵の頭上を飛び越えて一路研究棟の入り口を目指す。
中には2人を追ってくる者もいたが、魔剣でリチャードが作り出した幻影に惑わされ、事なきを得る。
だがうまく研究棟まで逃げ切れたと思ったのも束の間、突如その床から無数の骸骨兵士が現れた。
「魔本!」
咄嗟に炎を放つフィオリナだが、相手が骸骨ではあまり効果はない。
氷も同様で、皆骨と骨の間をすり抜けていってしまった。
「私がやる!」
代わって、骸骨に攻撃を仕掛けるエレノア。
動きは常人より遥かに速いが、とはいえエレノアにしてみればどうということはない。
体は見た目通り脆く、さほど力を入れなくともバラバラに崩れ落ちていった。
だが破壊された骸骨はすぐまた元の形に組み直り、何事もなかったかのように再び襲い掛かってきた。
「うひゃあ!?」
「レナ、もう一度お願い!」
「で、でも……わ、分かった」
言われた通りに再度骸骨らを破壊するエレノア。
フィオリナはその動きの止まった骨の山に魔力を集中すると、次々とそれらを焼いていった。
骨はパチッと小気味のいい音を立てて次々と破裂してゆき、それらは二度と組み直ることなく、そして消滅していった。
「101の魔…か。この調子じゃキリがないわね。早く魔本を滅ぼしてしまわないと」
その時、ふっと辺りが漆黒の闇に包まれる。
「な、何!? これも魔本?」
それは学校の守備に当たっていた教師の光魔法だった。
この闇の中では通常のランタンはおろか、術者を超える力の持ち主でなければ魔力の光も炎も通用しない。
そしてその教師は自らが作り出した闇の中で静かに短剣を抜き放つと、相手の魔力の位置を確かめる。
闇の中には慌てふためく『白い』影が1つ…その影に向かって、ゆっくりと歩を進めていく。
(……1つ?)
異常に気づくがもう遅い。
踏み出した彼の足が何かを踏み、サクッ、と小さな音を立てる。
(──しまっ!)
突如闇の中にもう1つの『赤い』影が現れたと思ったが最後。彼の身体は無数の氷の刃で蜂の巣にされていた。
どさり、と身体が横たわる音と同時に、周囲の闇も晴れていく。
「え──」
何が起きたのか理解していなかったエレノアが、いきなり眼前に現れたそれに言葉を失う。
一面の霜柱と…それを赤く染め上げていく肉の塊。激しい嘔吐感が、エレノアを襲う。
「あんまり見ない方がいいよ。私でさえホフマンさんの時は──混乱しかけたくらいだから」
フィオリナは死体から短剣を剥ぎ取ると、それをスカートのベルトに収めた。
そのあまりにも淡々とした仕草に、エレノアは問わずにはいられなくなる。
「フィーはその…へ、平気なの?」
「……もちろん、平気じゃないわよ。でも、こうしないとこっちが殺られるもの」
「そ、そうだ…よね。どのみち裁判になればもっと酷い処刑にかけられるんだし、ならいっそこの方が……」
「無理に自分に言い聞かせる必要はないわよ。レナは何も考えなくていいから。手を汚すのは、私だけで充分」
「フィー……」
エレノアはぶんぶんと首を振ると思いっきり床を蹴り、頬を何度も叩いて気持ちを落ち着かせる。
このままでは何をしにきたのか分からないし、フィオリナのお荷物になるわけにもいかない。
「──大丈夫?」
「ん…なんとか。ごめんね、取り乱しちゃって」
「取り乱さない人間の方が異常よ。さ、行きましょうか」
そう言って何事もなかったかのように、階段を上って行く。
それを追うエレノアの脚はまだ若干震えていたが、ここで弱音を吐くわけにはいかない。
とにかく何も考えないように、今は彼女の背中だけを追って走ることとする。
──と。
「伏せて!」
「え……」
突然横殴りに彼女らを襲う無数の炎。
一瞬反応の遅れたエレノアは、右肩に軽い火傷を負ってしまう。
咄嗟にフィオリナも炎で応戦するが、あっさりと無効化されてしまった。単純な力の押し合いでは敵わない。
フィオリナは倒れているエレノアを抱き上げると、一旦近くの部屋へと身を隠す。
「無駄な足掻きを。部屋ごと蒸し焼きにしてくれる」
そう言うと、フィオリナらが入っていった部屋の扉を開け放つ。そこへ、部屋の中から放たれる無数の氷の刃。
だがこれは予想の範疇だ。冷静に魔力を集中すると、それらをいとも簡単に霧散させた。
──はずだった。
「──かはっ!?」
一瞬何が起こったのか分からず、恐る恐る自分に刺さっているものを確認する。
それは、先ほどフィオリナが死体から剥ぎ取った短剣だった。
これを氷の刃に紛れさせて、一緒に放ったのだ。
短剣の傷は心の臓まで達しており、その教師はその場に倒れ、そして絶命した。
フィオリナは完全に死んでいることを確認すると、胸に突き刺さった短剣を回収し、教師の服で血を拭う。
エレノアは先ほどよりはまだ幾分かマシだったものの、それでもやはり直視することはできなかった。
「一度に襲ってこないのが幸いね。……歩ける?」
「ん…ごめんね、足手まといで。やっぱり私が囮をしてたら良かったね」
「そしたら魔剣しか持たないリックくんとじゃ、骸骨相手にやられてたよ。気にしないで。できることがある時に、できることをすればいいんだから。さ、行きましょう」
部屋を後にし、再び階段を上っていく。もう学長室は目と鼻の先だ。
と、そこへ突如2人の前に、魔本によって生み出されたのであろう水の巨人が立ちはだかった。
そしてその後ろに姿を現したのは、学長ザンソア。
「うぬらか。我々の積年の夢を台無しにしてくれた愚か者らは」
「夢……? 一族の復興が、そんなに大事だったんですか? こんな…何もかも壊しちゃってまで……」
エレノアの問いかけに、ザンソアがさも当然といった風に答える。
「種の保存…というのは、生物が皆本能的に持っているものだ。一族の復興も然り。そして種は、より強いものが生き残り、弱いものは滅びてゆく。そう全ては──自然の摂理だ」
「そんな理屈……」
その時、空に白い魔法陣が浮かび上がり、校庭に白い光が溢れる。
リチャードが敵をさばきながらそれを描き、そして魔剣の力を解放したのだ。
ザンソアはその光景を感情のない目で観察し、そして呟く。
「……剣、か。よもやあれまでもが転生の力を持っていたとはな。しかし憑かれていないところを見ると、奴はオグル族か? ……まあ、いい。どのみち奴は墓穴を掘った」
ザンソアの手がゆっくりと魔本をなぞる。
すると上空に火の鳥が現れ、校庭にいた人々に炎を吐きかける。
「本の力は剣には通用せぬが、剣の力もまた本の守護獣には通用しない。奴があの連中を見殺しにでもしない限り、両すくみの状態でこちらには手を出せぬ」
火の鳥から放たれた炎は半球状の白いドームに阻まれ、リチャードらにダメージを与えることはできない。
だが対するリチャードも防御以外何もできず、ただそれを防ぎ続けていた。
「あれさえなければ、ただの半人前の魔法使いであるうぬらに儂は倒せぬ。もっとも──こやつが代わりにうぬらを始末してくれるだろうが」
その言葉を皮切りに、水のゴーレムが2人を襲う。
廊下の天井まで届くほどの大きな体躯に似合わず、その動きは先の骸骨並に俊敏だ。
エレノアはフィオリナを一旦安全なところまで下がらせると、ゴーレム目掛けて飛びかかる。
だが確実に入ったその拳に全く手応えはなく、逆にエレノアの体がその水の中へと引き込まれてしまった。
「がぼっ……!」
「レナ!」
なんとかゴーレムを蒸発、もしくは凝固させようと試みるフィオリナだったが、そもそも水量が多い上に、魔力で作られたその体にはあまり効果がない。
となれば魔本の方を…とも思ったが、そちらはしっかりと防御が施されており、これも破壊できそうにはなかった。
「我が眷属となった者が、かつて極秘裏に手に入れたのだそうだ。発見が遅れたのは悔やまれるが、今からでも遅くはない。なに、剣さえ取り返してしまえばまた眷属も作れる。全ては我々の望むままに……」
「く……ふ……っ!」
落ち着きを取り戻したエレノアが、自身の体重を高めて水の中から脱出する。
そしてそのまま一気にザンソアとの距離を詰めるが、態勢を立て直すのに一瞬の間があったためにザンソアの方が反応が早く、彼の力によってエレノアの体は床を突き破って下階まで弾き飛ばされた。
「レナ!」
「次はお前だ」
ゴーレムが再びフィオリナを襲う。
決して運動神経は悪くないが、さすがにゴーレム相手では分が悪く、ほどなくして彼女もまた水の檻に囚われてしまう。
そしてそれから逃れる術を持たないフィオリナは、じわりじわりと訪れる死の感覚に侵される。
「さて、問題は剣の方か。本の力では倒せぬし、かといって生半可に勝てる相手でも……」
既にフィオリナに興味がないという感じで窓から校庭の様子を眺めるザンソア。
しかしその隙をついて、床の穴から舞い戻ってきたエレノアがその手から魔本を奪い上げる。
「!?──しまっ……!」
消滅する火の鳥とゴーレム。
水の檻から解放されたフィオリナは必死に意識をかきあつめると、今はエレノアの手中にある魔本を灰に変えた。
「おのれ…こうなったらうぬらもろとも道連れにしてくれる!」
ザンソアの衝撃波が2人に襲い掛かる。
しかし一歩早くエレノアがフィオリナの体を抱えると、窓を突き破ってそのまま外へと逃れた。
「させるか!」
自らもまた窓から身を乗り出して、再び狙いをつける。
だがそこを目掛けて光の矢がザンソアに襲い掛かり、その頭を貫いた。
リチャードの持つ魔剣から放たれたものだ。
「……終わったね」
「ええ……」
2人はゆっくりと地面に降り立つと、今まで我慢していたものを全て吐き出すかのように、互いに抱き合い、そして涙混じりに笑い合った。
城攻めに当たっていた教師らはドラゴン消滅の後ひとり残らず捕らえられ、全員牛割きの上晒し首という、最上級の極刑が与えられた。
教師らにそそのかされ、将来彼らの仲間となることを約束していたオグル族の者らは、未遂ということで情状酌量されたもののそれでも終身刑。
事の真相が明らかになったことにより、その他の無関係なオグル族への迫害が今後懸念されたが、ひとまずは国の保護兼監視下に置くことによってとりあえずの収拾を見る。
他にもまだまだ問題は山積みだったが、それでも街は以前の活気を取り戻すべく、復興に向かって動いていた。
──それから二ヶ月。
ラグナラ神学校はまだ再開の目処が立っていない。
校舎の損傷は大したことはないのだが、問題は失った教員らの補充である。
国内から優秀な人材をあたってみたり、宮廷魔導師を臨時講師として提供する方向で話は固まりつつあったが、やはり国内最大の進学校の教師らの大半が抜けた穴は大きい。
エレノアは別段学校が好きというわけではなかったが、城や屋敷に閉じ篭っているよりは楽しいので、再開を心待ちにしている1人だ。
遅れた勉強や魔法はホアンが見てくれているが、魔法の方はなかなか思うように上達しない。
一緒にホアンについて学んでいるノーラも似たようなものだったが、一方のフィオリナはというと、まるで砂に水が染み込むかのようにそれらを吸収していく。
そのあまりの出来にホアンも、これならいっそ講師として教える側に回ってはどうかと勧めるほどだった。
「ね。フィーってさ、将来何になるつもりなの? やっぱり宮廷魔導師?」
そんな彼女に、エレノアが訊く。
「うーん……。昔は、なれるならそれが一番いいって思ってたかな。今は…分からない。真似事なら、もうウンザリするくらい経験したしね。……ノーラさんは?」
「リックの〜〜でしょ? でも、舅がアレじゃね……」
エレノアの言葉に耳まで真っ赤になる。
とりあえずこの場にリチャードがいないことが幸いだった。
「あ、え…と、それはそれとして! 私は…動物のお医者さんかな。でもその前に、無事卒業できるかが問題だけど」
「え、意外……」
「え、そう…かな?」
「別に意外というほどでもないけれど、今までそんな節もなかったしね。でも専門知識が必要になるお仕事だから、神学校の肩書きだけじゃ通用しないわよ?」
「大丈夫です。ひとまず別のお仕事をしながら勉強していきますから」
そう言って笑うノーラ。
「レナちゃんは?」
「え? 私?」
言って、ノーラははっとする。
王位そのものは長兄であるザイスが継ぐだろうが、第3王女とはいえ王族は王族。
今はこうして底辺の人間である自分と笑い合っているが、いずれは貴族として決められたレールの上を歩んで行く身だ。
だがエレノアはそんなことを気にする様子もなく、窓の外を見つめながら、そして言う。
「私…は、旅をしたいかな」
「旅……?」
ノーラの言葉に、エレノアがゆっくりと頷く。
「そう、旅。私ね、お城の外に出てみて思ったの。世界は広いんだな…って。この小さなカナンの中だけでもそう思えるんだから、本当の世界はもっともっと広いと思うんだ。自分の足で歩いて、そして自分の目で世界を見てみたいの」
遠くを見つめる彼女の横顔を見て、フィオリナが顔を緩ませる。
「じゃあ私は王女様付きの護衛でも目指そうかしら。……そうね、いっそ旅芸人というのも面白そうね。レナなら適任かもね」
「あ、2人ともずるいっ! な、なら私は……ど、動物使いっ!」
ぷうっと顔を膨らませて咄嗟にそう言うノーラ。
エレノアとフィオリナは顔を見合わせると、2人して笑い合った。
最初はそんな2人に抗議するノーラだったが、やがて自らも釣られて笑い出す。
「……あ、雪」
窓の外を見て、エレノアが言う。
ひとつ、ふたつ…そしてやがて無数に空から舞い降りてくる白い欠片。
冬の始まりだった。