第09話
聖夜の約束
──季節は冬。
ラグナラ神学校は卒業試験を控えた最上級生に限り、その本来の機能を回復していた。
とはいえその他の学年についても進級試験が免除されるわけではないので、各自各々自習ということになっている。
そのために校舎も開放されているのだが、実際利用している者は聖楽科を除いてあまりいない。
育ちのいい者が多いラグナラ神学校の生徒らは家庭での教育環境に不自由していないし、そうでない者らも寮のルームメイトや先輩らの間で教わり合った方が効率が良い。
そして何より、人気のない教室は底冷えする。
そういった諸々の理由から、学校へは図書館と防音室を利用する生徒らくらいしか出入りがないのが実情だ。
そんな中エレノアは、最近ではフィオリナらのいる女子寮へと足を運ぶようになっていた。
今まで彼女の教育係だったホアンを初めとして、その他の主だった宮廷魔導師らの殆どが最上級生らの講師をしているために、今までのようにシルバーヘルム邸で自習をすることが困難になったためだった。
これまでシルバーヘルム邸で一緒に指導を受けていたフィオリナらも最近ではルームメイトに引き止められるようになっており、それならばいっそエレノアも、という流れだ。
一方女子寮に入れないリチャードはというと、進級に特に不安はないので、本宅で武芸の訓練に入っていた。
それでも女子寮までの送り迎えは彼の仕事であり、彼女の護衛としての役目は忘れない。
「ねね、そういえばさ。もうすぐ聖誕祭だよねー」
ペンを走らせる手を止めて、キャロルがそう切り出してくる。
勉強に飽きてきた頃にちょくちょくこういった雑談を挟んでくる彼女だが、他の面々も息抜きにはちょうどいいのでこの話に乗ることになる。
程度が過ぎればまとめ役であるフィオリナが注意することもあるが、多少ならばかえって良い潤滑油になっているので大抵は黙認している。
「みんなは誰を誘うか決めた?」
「誰かって? 何に?」
質問の意味が分からず、エレノアが訊き返す。
「ミサに決まってるじゃない。聖誕祭の夜は、恋が成就する聖なる夜…常識でしょ」
聖誕祭は正しくは、主神ゼクスことロアナ帝国初代皇帝の生誕を祝うためのものである。
またこれを境に新しい暦が作成されているため、聖誕祭当日は新年の始まりでもある。
聖誕祭のお祝いは前夜から始まり、次の日の早朝にかけて夜通し行われる。
この間人々は大聖堂へ祈りを捧げに足を運ぶわけだが、どうにもこれが若者の間で絶好のデートの口実となっているらしい。
「もちろん、レナはリックだよね? ノーラは?」
「え…わ、私もその…って、べ、別にみんなで行けば……っ」
「はぁ〜…つくづくお子ちゃまね。せっかくの聖夜を仲良し会にするだなんて、愚の骨頂よ」
たしかに。
こんな機会でもなければ、ノーラはいつまで経っても現状維持だろう。
リチャードも知ってか知らずか何の反応も示さないし、このままでは例え10年経っても2人の間に進展はない。
ノーラを応援しているエレノアとしてはリチャードを彼女と同行させたいところだが、そうなるとエレノアが誰を連れていくかが問題になる。
彼女はまがりなりにもカナン国第3王女セシリア・カナン・ホワイトファングその人であるため、護衛を最低1人はつけないとミサになど行かせてもらえない。
となると妥当なのはホアンあたりだろうが、彼は今や宮廷魔導師として顔が知れているため、お忍びの護衛には向かない。
先日の一件でエレノアが王女だと知った者も多少はいるが、それでもまだまだ知らない者の方が多いのだ。
「で、でも私…とても誘うなんて…そんな……っ」
……その問題もあった。
それに仮に精一杯の勇気を振り絞ってリチャードを誘えたとしても、彼の方が「みんなで行こう」と言えばそれまでとなる。
冷静な時のノーラなら何かいい考えが浮かぶのかもしれないが、リチャードのことで頭が迷走している今の彼女にそれを求めるのは無理な話だろう。
さて、どうやって2人きりにさせるべきか……。
「それなら……」
──と、そこへ、今まで話題に参加していなかったフィオリナが、ペンを走らせる手を止めることなくあるプランを提案した。
「う…わぁー…すごい人……!」
「収穫祭の時は地域の人だけが集まったけど、聖誕祭は国中の人がこの大聖堂に集まるからね。くれぐれも、はぐれないように気をつけるように」
夕食後のこの時間帯は、子供連れの家族が多い頃合なので特に人が多い。
今まで追われている時くらいしかこんな群集にお目にかかったことのないエレノアは、まるで田舎から上京したての子供のようにその人波に酔いしれていた。
リチャードの注意も耳に届いていないようで、迷子対策にフィオリナがその手を繋いでいる。
「レナはミサは初めて?」
「司祭様の方が訪問してくれて、祝福の言葉を頂いてはいたけどね。こうやって自分から大聖堂に来るのは初めて! あれが賛美歌なんだー。綺麗だねー」
国の聖歌隊とラグナラ神学校の聖楽科の生徒らが交代で歌うその賛美歌を、恍惚の表情で聞き惚れるエレノア。
そんな幸せそうな横顔にフィオリナもまた優しく微笑むが、その笑顔がほんの一瞬だけ悲しげに曇った。
「実はね…私も初めてなの」
「え、そうなの?」
「あたしは今まで…神様にすがったりだとか、そのためにお祈りを捧げたりといったことはしようとしなかったから……」
「あ……」
そう言う彼女は優しい笑みを浮かべたままだったが、その笑顔にはどこからしら陰があるようにも見えた。
「……実を言うとね、本当は今年も来るつもりはなかったの」
「え…それじゃあ……」
「でも今年は、神様にお願いしたいことができたから」
そう言って、ちらりとノーラを見やる。
「13年間使わずにとっておいたお祈りですもの。きっと奇跡だって起こせるわ」
「──うん、そうだね」
そう言って、お互いに笑い合う。
ミサは、通常であれば行き帰りそれぞれきちんと列が作られるので、そうそうはぐれることはない。
しかし人の一番多いこの時間帯だけは例外で、一見列が作られているようには見えるが実際はただの人ごみと大差ない。
ちょっとでも気を抜けば簡単にはぐれてしまうし、もし意図的にそうしようと思えばそれはいとも簡単に実現できてしまう。
──そしてエレノアらは、意図的にそれを実行した。
「……まずいな。ちょっと離れちゃったみたいだ」
「そ、そうみたいですね?」
エレノアの護衛役であるリチャードは内心落ち着かないでいるようだが、この計画を知っているノーラは別段驚いた様子もない。
ただ、ついにリチャードと2人きり(実際は周り中人だらけなのだが)になれたせいで、多少の平静心を欠いてはいるが。
「しんぱいしなくてもだいじょうぶですよ。だって、フィーさんがついてるんですから」
「……とは思うけどね」
ノーラの台詞が思いっきり棒読みなのだが、リチャードはそのことにすら気づかない。
前に学校の裏の林でフィオリナが蛇に噛まれた事件があったが、あの時もエレノアから目を離したことが後で父ガラハドの耳に入り、大目玉を食らったのだ。
もっとも、フィオリナもエレノア自身もあの時とは比べ物にならないくらいに成長しているので、トラブルそのものについては別段心配していないのだが、何か事が起こればそれは自分の不手際が上に知れるということを意味する。
それを考えると内心気が気でなかった。
「こんなに人目のあるところで、しかも神様の目の前で何かしようって人の方がいないですよ。リチャード様は心配性すぎます」
「うん……」
決して納得したわけではないが、周りの人の迷惑にもなるのでとりあえず先へ進むことにした。
はぐれたことは誰にも言わないように、後でエレノアの口を塞いでおこう。そう、心に留めておいた。
「うまく行ったみたいね」
自分たちから離れていく2つの魔力の影を確認し、満足そうにフィオリナが頷く。
自分たちも周りの人たちの迷惑にならないように足を進めるが、速度は最低限にし、できる限り距離を稼ぐ。
またそうしながらも、フィオリナはエレノアにも細心の注意を払う。
仮にここでエレノアとも本当にはぐれてしまえば、彼女を護る立場が誰もいなくなってしまうのだ。
だが当のエレノアはそんな彼女の気遣いなど知る由もなく、意識は完全にノーラの方へと移っていた。
「あとはノーラちゃん次第だね。うわぁ…自分のことじゃないのに緊張してきちゃった」
「あと私たちにできるのは祈ることだけ……。ノーラはリックくんを前にすると上がってしまうのが難点だけれど、いざとなると芯は強いわ。きっと、大丈夫よ」
「上がらなければ、ね……。でも…あーっ! 娘を嫁に出す母親な気分ってこんな感じなのかな?」
「……」
テンションの高いエレノアを、複雑な表情で見つめるフィオリナ。
前々から訊くつもりでいたこと。でも、ここでは訊くつもりのなかったこと。
けれどいつになくはしゃいでいるエレノアを見ていたら、やっぱりそれを訊かずにはいられなかった。
「……レナは…本当にこれで良かったの?」
「え、何が?」
質問の意味が分からずそう訊き返す。
「あなたも、リックくんのことが好きだったんじゃないの?」
「へ?」
「──レナが無理をして空元気を出しているようにも見えたから……。違っていたらごめんなさいね」
予想だにしなかった言葉に、目を丸くして間の抜けた声を出すエレノア。
彼女は一瞬戸惑いながらも、やがて思い出の糸を辿るように虚空を見つめて、そして言った。
「私は──」
「さて、と」
お祈りを済ませ、あとは2人を待つだけとなったリチャードとノーラ。
何もしないで大聖堂内に留まっているのは他の人の迷惑になるので、ひとまず外に出ることにする。
待ち合わせ場所を決める必要はない。
魔力が見える者同士であれば、多少離れたくらいならお互いの場所が分かるからだ。
「後は合流するまで何も起きなければいいんだけど……」
「さっきから、そればっかりですねぇ」
「まあね。でもレナよりも、自分の身の危険が心配でならないんだよ」
ははは、と苦笑交じりにそう答えるリチャードの言葉は本心からのものだが、決してエレノアが心配でないわけではない。
リチャード本人はあまりそのことに自覚はないのだが、リチャードのことをいつも見てきたノーラの目には、それがはっきりと見て取れた。
「本当に…レナちゃんのことが大切なんですね……」
「そりゃあ、レナに何かあったら、僕の方が酷い目に遭う──」
「あの……! 正直に答えてくださいっ。リチャード様はその…レナちゃんのことを…どう、思ってらっしゃるんですか……?」
「え……」
「私は──もう玉砕済みだから」
「え……」
「私が4つの頃かな。リックって顔だけは良かったから、不覚にも一目惚れしちゃったんだよね。それで告白したんだけど…立場上の理由で、ね。ほら、いくら3番目だからって、私の相手は父様が決めるわけだし。誰かを好きになるってこと自体が無意味なの私の場合」
冗談交じりで笑いながら話しているエレノアだが、その内容は決して軽いものではなかった。
自分の意志で誰かを好きになることもできない。王族という身分は、そんなことにすら制限をかけてしまうのだ。
「じゃあ、やっぱり今でもリックくんのことを……」
「僕…は……レナのことを、手のかかる妹だと思ってる。そして恐らく君の欲しているであろう答えは…ノーだよ、これは本当。そもそも彼女は、僕が好意を寄せてはいけない身分の女性だからね」
「じゃあ…じゃあ、身分に違いがなかったらリチャード様は……」
「分からないね。ずっとそうならないように見てきたから。以前彼女の方から告白された時はさすがに意識したこともあったけど、それも昔の話だよ。今ではお互いそんな気はないしね」
「告白……?」
「といっても、彼女が4つの時の話だよ。その言葉の意味も分からないのに、身近な異性に結婚を申し込むような、そんな歳の頃だよ。よくある話だね」
エレノアの口から聞かされたことのない過去に、軽い衝撃を受けるノーラ。
今はどうあれ、昔はエレノアもリチャードに好意を抱いていた。
その彼女が何も言わず、ただずっと自分を応援し続けてくれていたことに、多少裏切られた気持ちもあったが、それでもやはり嬉しかった。
では自分は…どうするべきなんだろう?
彼女ならきっと本心から2人を祝福してくれるだろうが、もし立場が逆だとしたら、自分は果たして同じように喜んであげられるだろうか?
きっと心にしこりのようなものが残って、2人を見るたびにそれがしくりと疼くだろう。
しかしここで方向転換をして2人を応援する側に回れば、それこそ彼女は自分を恨むに違いない。
ましてや2人は決して結ばれることはないのだ。
なら自分の取り得るべき道はひとつだけ。……そう、ひとつしかないのだ。
「今でも、リックくんのことを……?」
「あ、それはないない。リックって顔はいいけど、性格は女々しいしね。ガラハドさんや姉様方にいじめられて泣いてるところを年中見てたら、いくらなんでも冷めるよ」
けろりと明るく答える彼女の顔はふっきれた表情そのものだが、もしかしたらそれも偽りの笑顔なのかもしれない。
しかしそれも所詮は推測でしかなく、そしてフィオリナには真実を知る手立てはない。
それにこの件についてはこれ以上…他人が触れるべきではない。
──だからフィオリナはただ、彼女の言葉をそのまま信じることにした。
「でも、あのリックくんが泣いているところ、か……。ちょっと興味あるわね」
フィオリナもエレノアに合わせて笑顔を作り、そう言ってみる。
ちょっと興味があるとは言ったが、本当にちょっとだけだ。
単に話題を変えるのに好都合だというのが本音だったりする。
「今じゃそんなことはないけどね。昔は特にサ…えっと、下の方の姉様に足でげしげし踏まれては『お許しください〜』…ってね」
「そ、そう……」
先日の一件の折、フィオリナはエレノアの姉であるアリシアとサディナに何回か接する機会があった。
彼女らは主に避難民らの管理を任されており、その仕事振りは、エレノアの姉で、彼女とそう歳も離れていない少女らのものとは思えなかった。
一言で言うと、どちらも大人びている。
仕事そのものも、人々のためというより職務に忠実と言った感じで、どこか冷たさすら感じた。
昏睡状態のリチャードを無視して自らの仕事を全うしているあたりからも、その冷徹さが伺える。
フィオリナはそれほど彼女らのことを知っているわけではないが、恐らく彼女らにとってリチャードはただの護衛であって、決してそれ以上の存在ではないのだろう。
(冗談に聴こえないあたりが怖いわね……)
「え、なに?」
「ううん、なんでもないわ。それよりほら、そろそろ私たちの番よ」
「あ…うん!」
「あら、ノーラじゃない?」
2人の間に流れていた重い空気を振り払ったのは、よく見知ったルームメイトの声だった。
「あ、キャロルさん……」
キャロルは参列の途中で、連れは誰もいないようだった。
なんでも誘おうとしていた相手というのが聖楽科の先輩だったらしく、それは言うまでもなくこの大聖堂で歌っている。
彼らは特別に一般参拝前にお祈りを済ませるそうだが、そこに部外者であるキャロルが割り込むことはできない。
つまり彼女の場合、どうあっても同行などできなかったのだ。
「笑うなら笑いなさいよ。……って、あれ? なんでリックが一緒なの? レナは?」
キャロルは女子寮で彼女らの作戦については耳にしていたが、エレノアとリチャードがくっつくものだと思い込んでいた彼女は、彼がエレノアではなくノーラと一緒にいることに驚いていた。
リチャードとノーラが親しいということも知ってはいたが、大抵彼と話す時はエレノアが間に入っていたために、2人きりになるということ自体が珍しいことだった。
「レナなら列の先の方にいるよ。用があるなら待ってるように言っておこうか?」
「……あー…あの『白い』のがそうね。隣にいるのは…委員長? ううん、別に用があるってわけじゃないんだけど、なんか意外でさ」
「意外?」
言葉の意味が分からず訊き返すリチャードだが、互いに進行方向が違うので長話をしているわけにもいかない。
結局キャロルはその問いに答えることはせず、ただノーラに向かって「ま、頑張んなさい」とだけ告げた。
その言葉に、いまだ迷いのあるノーラは胸を痛めずにはいられなかった。
「頑張れ? 一体どういう──」
「……ごめんなさい、リチャード様。実は私たち、わざとはぐれたんです」
「え……?」
「もう、私には決められない……。だから、全てを正直に告白します。その上で、リチャード様がお決めになってください」
「……よく、分からないけど…とにかく話して」
ノーラはこれまでのいきさつを嘘偽りなく全て打ち明けた。
彼女がこれまでずっとリチャードに惹かれていたこと…聖誕祭のもう1つの意味…2人きりになるための作戦…リチャードとエレノアが今でも心の奥底で互いに慕い合っているのではないかという予感…そしてリチャードに好意を抱いている自分と、エレノアとの友情の間で身動きが取れずにいる自分……。
リチャードはその全てを、ただ静かに聞き続けていた。
「……レナちゃんのことが好きなら、正直にそう仰ってください。そうすれば私は今まで通り、ただリチャード様を見ていられるだけで幸せな女の子に戻りますから……」
「……どう…答えていいのかな」
リチャードの美しい顔が悲しげに歪む。
「ありのままに」
「……うん…じゃあ言うよ。僕は…レナも、そして君のことも、そういう対象として見ることはできないよ。……絶対にね」
:
「……そう…ですか……」
リチャードのその答えに残念に思う一方で、ようやっと肩の荷が降りたような、そんな気がした。
──そう、これで良かったのだ。
何も変わらない。ただ、それだけのことだ。
「……ごめん」
「そんな…リチャード様が謝ること……」
「違うんだ。……僕は、レナや君だけじゃない。例え誰であろうと答えは同じだ。それは僕が…弱いから。全部、僕の弱さのせいなんだ……」
「どういう……」
「僕の父は…君も知っての通り、厳格な人だ。僕の母は常に父から完璧を求められて、最後は…発狂の内に亡くなったんだ。僕はもう…母のような人を見たくはない」
涙こそ流していないものの、リチャードの声はか細く、そして震えていた。
握る拳に力がこもり、足もその動きを止める。
ただ幸い人の多い場所は抜けていたため、行き交う人の迷惑にはならずに済みそうだった。
リチャードは何度か大きく息を吸うと、幾分か落ち着いたのか先を続けた。
「そして僕は、なまじ家柄と魔力持ちのせいで、レナら姉妹の護衛という過分な大役を担うことになってしまった。僕は特に剣の技量が抜きん出ているわけでもなく、光の魔力は言うまでもなく戦闘向きじゃない。……僕はそう遠くない内に、死ぬことになるだろうね。収穫祭の時の一件でそうならなかったのが奇跡だよ。そして、奇跡はそう何度も起こらない。……僕が生きている内は、及ばずながら父から妻を庇うこともできるだろう。でも、僕がいなくなった後は? おそらくフィーさんのような人でもない限り、父と付き合い続けていくことはできないだろうね」
「それじゃ一生誰とも…結婚なさらないつもりなんですか……?」
「…………」
リチャードは何も言わず、ただ無言のままうなだれる。
そんなリチャードにノーラは何と言っていいか分からず、そのまま2人の間に重い沈黙が訪れた。
雪が落ち葉のようにひらひらと舞い落ちる中、人々が彼らの横を通り過ぎていく。
賛美歌と子供たちの楽しげな声の中で、彼らに気を留める者は誰もいなかった。
──2人の少女を除いては。
「あーもうっ!」
「ひぁっ!?」
「セ…レナっ!? フィーさんも……」
「ごめんなさい。気づいてらっしゃらないみたいでしたので、不躾ながら途中から拝見させて頂きました」
会話に集中していたあまり、2人の気配にすら気づいていなかったようだ。
しかし一体いつからいたのだろうか?
そんなことを考えていると、エレノアが激しい剣幕で詰め寄ってきた。
「さっきから聞いてたら何よ!? 弱いから死ぬ? だったら強くなればいいじゃない! アンナさんのような人を見たくない? こンのマザコン!」
「な……っ」
さすがにこれには周囲の人たちも何事かと目を向けるが、そんなことはお構いなしにエレノアは続ける。
「ノーラちゃんはリックが思ってるほどやわじゃないし、ガラハドさんだって、アンナさんが伏せってからは柔和になった方じゃない。そりゃあ今でも部下には厳しいし、それなりに大変だとは思うけど。でも程度の差こそあれ、舅なんてそんなものじゃないの? よく知らないけど」
「レナちゃん、私のことならもう……」
「ノーラちゃんは黙ってて。それで? 結局のところリックは、ノーラちゃんのことどう思ってるの? 家の事情とかそういうのがなかったら、告白された時になんて答えてた?」
その問いかけに、リチャードはこれまでのことを思い返す。
意図的に見ないようにしていただけで、決して彼女の好意に気づいていなかったわけではない。
自らが昏睡状態にあった時に、彼女がどれほど親身に看病してくれたかも知っている。
──そして少なからず、そんな彼女に惹かれている自分がいる。
「……OKしてたよ。多分ね」
「え……」
「よろしい。──だったら2人とも強くなりなさい。ノーラちゃんはリックの期待に応えられるように、リックはノーラちゃんのために。……いいわね?」
何も解決したわけではない。
目の前の問題はそのままだし、それに対する不安もある。
けれどその問題に向き合わずに避けるばかりでは、先に進むことはできない。
……自分たちに、できるだろうか……?
「返事は?」
戸惑う2人に、エレノアが再度問う。
2人は一旦顔を見合わせた後、今度は力強く頷いた。
「……うんっ!」
「善処するよ」