第05話
神々の黄昏
「5日後…いや、もう4日後か。クーヘンバウムが総攻撃を仕掛ける」
「とうとう来たか……」
アルフレドの報告に唸るような声を上げる、現騎士団長代行のテオフィール。
一方声には出さないものの、リチャード、サディナ、アリシア、ホアンらも同様に顔を歪める。
「ということは、準備が充分に整ったってことになりますね」
「だろうな」
クーヘンバウムが1年間も疲弊したカナンを放置していたのには、それなりの事情がある。
1つはクーヘンバウム自体の国力不足。
クーヘンバウムは近年軍事国家として近隣諸国に侵攻しているが、危険因子と成り得る成人男性、および労働力にならない老人を皆殺しにしている。
そのため兵士はほぼ本来の自国民のみで組織されており、兵士不足が顕著だった。
しかし先日エスキアに銃の生産を委託したことにより、それは大幅に解消された。
もう1つの理由は、カナンの未知の力。
他国でも噂に高い聖剣が確かにあるというそれだけでも、畏怖するには充分すぎる。
それのみならず、少数でもあの戦闘民族ライスの傭兵を凌ぐ戦闘能力を持つ魔法使いらの存在。
この内どちらか一方でも封じることができなければ、例え勝てたとしても、クーヘンバウム側の被害も計り知れないものとなるだろう。
「ディルク…レジスタンスのリーダーが言うには、連中は魔法に対して何らかの対応策を出したらしい。ここのところあった国境での小競り合いは、それを試す目的があったそうだ」
「本気で戦うつもりがなさそうだとは思っていたが、そういうことだったのか。確かに、何人かの魔法使いらからも違和感を感じたと報告を受けている」
「電気魔法がまるで通用しないらしいですね。あと、炎も効果が薄いとか」
「運動魔法は問題なかったようだが、もしかするとそれももはや封じられている可能性は、あるな」
「充分考えられますね」
しばしの沈黙が6人を支配する。
どうしても頭数が足りない以上、戦力は魔法使いに頼らざるを得ない。
普通に考えれば、方法などいくらでもある。
それらのいずれも試してみる価値はあるだろうが、やはり通用しなかった時の手も考えておく必要があった。
「とにかく、使える者は総動員するしかないでしょう。テオフィールは軍隊の組織と装備の拡充、ホアンは城内外から使える魔導師の組織を」
「承知致しました」
「御意に」
「わたくしと姉上は各地区で国民らに説明を行い、その上で徴兵を行います。リチャード、貴方も神学校生から協力者を。勅令状を出しておきます」
「……分かった。なるべく混乱が起きないように上手くやってみるよ」
「アルフレド、貴方はレジスタンスらと交渉し、戦力がカナンに集中した折を狙ってランクルトの中枢を叩くように仕向けなさい」
「後方支援、中枢撃破、どちらでもできるように準備を整えておくようには言ってきた。独断だが、時間がなかったんでな」
「結構です」
「ついでに魔法対策がどの程度進んでいるのか、可能な限り調べておいてくれるようにも言ってある。俺はもう1度ならこっちに戻ってこられるから、その時にでもまた報告する」
アルフレドの手際は賞賛すべきものだが、それでもギリギリで間に合うかどうかだ。
依然として状況が厳しいことには変わりがなかった。
「では解散とします。各自とも可及的速やかに対処する一方で、休息も充分に摂っておくように。──以上」
アルフレドがランクルトへ出向くようになってから、2日ごとに定例会議が開かれている。
普段は日中に行うのだが、今日に限っては緊急性があったため、各方面の主要人物のみを深夜に緊急呼集して行われた。
敵地から得られる情報によって、カナンとしても銃への対抗策は色々と練られてきている。
しかし人員不足だけはどうやっても補うことができない。
屋敷に帰ったリチャードは、既に安らかな寝息を立てているエレノアの、その左手首にある聖剣に話を持ちかけた。
「というわけだ。君の力を借りたい」
『敵はどの程度いる』
「およそ10万」
『味方は』
「騎士および一般兵は見習いや訓練生も含めて5千。外部協力者は…多分3千程度。宮廷魔導師が12人。それに近い能力者はフィーさんを含めて10人弱。その他使い物になりそうな魔法使いは多分80程度。あとザブランの余剰兵力が3万てとこだけど、期待できそうなのは良くて5千ぐらいだろうね」
『兵が8千と高位の魔導師が20人。厳しいな』
あまりの圧倒的な戦力差に、人外の力を持つ聖剣ですらそんな感想を漏らす。
「街道に列を為している時に正面から力を放つのは?」
『この時代の甲冑の強度と、それによる威力の劣化を考えれば、今の余力では全力で放ったとしても5千人をなぎ倒すのがやっとだろう。殺すとなれば3千か』
「街道を抜けた時に、魔法陣に乗せて洗脳する手は?」
『いかに大きな魔法陣を描いたところで、乗らなければ意味がない。訓練された軍人ならば幼稚な煽動にも乗らぬだろうし、これもできて千人といったところか。そこから同士討ちさせてもたかが知れている』
「やっぱりか……」
予想はしていたことだったが、改めて聞くとやはり気が重い。
聖剣の力は大きな戦力だ。なんとかこれで敵勢力の半分でも削れればとかすかながらも期待していただけに、そのショックは大きい。
『その銃というのは』
「ああ、弓に近いかな。ただ火薬を使う分威力が大きくて、扱いも簡単なんだ。精度は一般に弓より劣るとされているけど、クーヘンバウムが使うものに限ってはそうじゃないらしい。あと、弾丸がものすごく小さい上に速いから、矢のように魔法で咄嗟に防御するというのは難しいらしいよ」
『矢ですら鉄の板を貫通できる。それよりも威力があるとなれば、ほぼ防御は不可能ということか』
「カナンの鎧は言うまでもなく、鉄よりも硬い熱魔法の氷壁でも難しいかもしれないね。厚みを持たせれば大丈夫だろうけど、そんなのを常時出しているわけにもいかない」
『絶望的だな』
「だから訊いてるんだけど……」
感情のない声音で語るのはいつものことだったが、さすがにこの状況下でここまで危機感のない喋り方をされると若干いらついてもくる。
そうでなくても深夜だ。進展の見られない長話を延々しているつもりはない。
『無理を言うな。元々我は自発的に考えるのには向いていない。記憶を溜め込み、過去の事例と照らし合わせ、計算からものを弾き出すことはできても、それ以上のことは人間の知恵に遠く及ばない。そういう作りなのだ』
「そっか…ごめん」
『とにかく我は、力は貸すが知恵はこれ以上出せん』
「分かった。ありがとう」
もう夜も遅い。
聖剣本人がこれ以上話しても無駄だという以上、何も得られるものはないだろう。
リチャードはこれで会話を切り上げると、朝までの短い時間で、できる限り体を休ませることにした。
翌日の朝一に、ラグナラ神学校で全校集会が開かれる。
壇上にはリチャードとフィオリナ、それと臨時講師として配属されている宮廷魔導師らが上がり、今この国が置かれている状況を、細心の注意を払いながら説明された。
フィオリナに協力を求めたのは彼女のカリスマ性と経験による場慣れを見込んだものだったが、依然彼女がセシリア姫だと信じている者も多いため、期待以上の効果が得られた。
少なくとも混乱は起こらず、一同は彼女らの言動に耳を傾けている。
「そういうわけで、協力者を募いたい。やってもらうのは主に後方支援と救護班。けれど魔法科の、特に傭兵経験のある者には少々危険なこともやってもらうことになると思う」
「協力希望者はこの場に残ってください。登録と、魔法使いはその属性の確認を行います」
「なお、ラグナラ神学校は現在をもって無期限休校とする。その後の行動については、制限しない」
ラグナラ神学校の全校生徒数は1,000人強。魔法科の生徒だけならおよそ75といったところ。そこから更に、魔力の感覚さえない1年生を除けば60人。
出来得る限り残って欲しいという願いとは裏腹に、1人去れば2人、次々と呼応するようにその場を去っていった。
「残ったのはこれだけか……」
「厳しいですね」
女子生徒や国外からの留学生らのほぼ全てはことごとくこの場を去り、残ったのは傭兵として実績のある者らと、セシリア姫──正しくは目の前にいるフィオリナへの強い忠誠心からという者らがほとんどのようだ。
「……集計、終わりました。魔法科の生徒は25…私たちを入れて27。他科の生徒は…83名、です」
27。その中にはエレノアの姿もあった。
事前に釘は刺しておいたのだが、やはり無駄だったようだ。
仕方ない。後でもう1度説得してみるか。
「属性の内訳は運動が6、熱が9、電気が8、光が3、時空が1…やっぱり偏りますね」
「無理もないよ。傭兵経験者がメインなんだから」
「この後はどうされますか?」
「まずは報告。あちらの一般徴兵の情報とも照らし合わせて、それから作戦会議。以後指示があるまで、希望者らは自宅待機。まずは普段通りに過ごしていてくれて構わない。以上解散」
リチャードの指示で解散する生徒たち。
皆一様に沈痛な面持ちで、言葉を発する者は誰もいない。
無理もない。例え傭兵の経験がある者にしても、負けることがほぼ確実に決まっている戦にこれから出ようというのだから。
金銭目的で、勝算の見込みのある戦だけ選んで参戦するのとはわけが違うのだ。
「──で、君たち。特にレナ」
最後に残ったエレノア、ノーラ、リセリア。
その中のブラウンの髪の少女に指をさし、強い口調で言う。
「自分の立場は理解してるよね?」
「負ければどのみち殺されちゃうんでしょ? だったら立場がどうこうなんて関係ないよ」
「どんなことをしてでも勝ってみせるさ。だから君には協力してもらう必要はない!」
「リチャードさん、怖い……」
珍しく感情的になるリチャードに、ノーラでさえ思わずそんなことを言う。
一方、一見冷静さを保っているように見えるフィオリナも、やはりリチャードと同じ思いのようだった。
「……ところでリックさん、1つ訊きたいことがあるんだけど」
そんな思い雰囲気の中、そう言ってきたのはリセリアだった。
「くどい! 何度言われてもできんものはできん!」
耳をつんざくような声で、目の前の少年を怒鳴りつける男。
アルフレドがその男と会うのはおよそ半年ぶりだったが、以前に比べて若干筋肉が衰えて丸みを帯びたように見える。
「クーヘンバウムの力はもはやザブランの牽制で均衡を保てるようなものではない。あの国は消える運命だ。ここへ来てまで我々があの国にこだわる理由は何もない」
「あんたはいつもそうだな。損得ばかり計算してる」
「世の中とはそういうものだ。そもそもお前をあの国にやっていたのは王女に取り入るつもりがあったのだが、それももう意味はない。悪いことは言わん。このままここにいろ」
「断る」
「馬鹿者が。大体だ、例え今回を凌いだところで、クーヘンバウムはすぐにでもまた仕掛けてくる。状況によってはザブランがその両方を一気に潰す考えだ。どう足掻いてもあの国に未来はない」
「やっぱりそんなことを企んでやがったのかザブランは……」
「そもそもお前はなぜあの国にそんなにこだわる? あの王女か? 幸いあれは国外にあまり顔を知られていない。なんならザブランで保護すればいい。そうだ、ザブランがカナンを奪い返した後にお前と王女がカナンの領主になればいい。そうすれば──っ!?」
アルフレドの拳が男の顔面を強打する。
男は2、3歩後ろによろけ、ぽたぽたと鼻血をこぼしながらその顔面を手で押さえる。
「お…う……」
「こんなもんもかわせねぇのかよ、親父……。強かった、誇り高い騎士だったあんたはどこへ行っちまったんだよ!」
「くそ……っ!」
男は腰の剣を抜くと、アルフレドの左足を狙って一閃する。
このままアルフレドを行かせては命を粗末にすることになる。
これは、父としてのせめてもの情けだった。
しかしアルフレドはその刀身が届くより早く一気に間合いを詰め、逆にみぞおちに強烈な一撃をお見舞いする。
アルフレドの拳を受けた男はくぐもった声を出して、その場に膝をついた。
「ぐ……」
戦闘というのは、先に相手を無力化すれば勝ちである。
何も防具を着けていないのであれば、より速く動ける素手の方が有利となる。
もちろんそれなりの実力が必要になるが、つまりはそんな単純な話だ。
「ここへ寄ったのは時間の無駄だったようだ。もうあんたには頼まねぇ。せいぜい公爵様のご機嫌でも取ってろ。……じゃあな」
自分の元を去っていく息子のその後姿を、男はただ黙って見送ることしかできなかった。
「クーヘンバウムがとうとうカナンに攻め込むって話だよ」
「本当かい? ガセじゃないんだろうね?」
「本当さ! やたらカナンからやってくる人が多いから聞いてみたら、なんでも数日中に戦争が起きるってんで、避難してきたって話さ」
「そういやあ今日は見かけない顔が多いねぇ。しかしそうなると、ここもいずれは……」
「おいおい、物騒なこと言うなよ」
フィオニアの酒場宿で、そんな会話を交わす客と店主。
店内にはオルガンの曲が流れ、綺麗に着飾った人形たちがその曲に合わせてくるくると踊り続けていた。